林の中にひっそりと建つコンクリートの建屋が美しい遺構です。
杵島炭鉱第4抗にあったコンクリート造りの建屋、巨大な通風坑が残っていました。
炭鉱町の姿を今に伝える佐賀県杵島郡大町町。この町は、かつて県下最大規模といわれた杵島炭鉱の本部が置かれ、杵島炭鉱にあった1から5の抗口のうち第3と第4抗がありました。
前回の炭鉱鉄道トンネル跡に引き続き、今回紹介するのは第4抗跡に残る通風抗の跡です。
前回記事はコチラ。
第4抗があったのは、大町町役場から北東方向。佐賀県営浦河内団地から、北へ少し行った溜池のそば。団地の前を通る通りは、西へ向かうと前回紹介したのトンネル跡へ行く事が出来ます。
団地の向かい側に、JAの施設があります。
JAの西側にある北へと続く道路、杵島炭鉱第4坑口の通風抗跡へと続く道です。
真っ直ぐ歩いて行くと土手が見えてきました。この向こうは溜池になっています。
溜池の手前も独特の構造になっていて、なかなか迫力のある景観です。
土手を上ると溜池が広がり、多くの釣り客で賑わっています。うきを見ると、ヘラブナ用のうきを使っています。鮒釣りの人たちみたいですね。
通風抗は土手を登り溜池のふちを向かって右、この林の中にあります。
林に入ってすぐ、ありました!思っていたより大きいですね。
周りの地形を削って作られた広場のような場所に、コンクリートの建屋がありました。場所は非常に分かり易く、溜池まで来ればスグに見つかります。
反対側に回ってみると、ファンが設置されていたと思われる大きな穴が開いています。
大人が立ったまま余裕で入る事が出来るほど大きな穴です、ここが排気口だそうです。巨大なファンが設置されていたのでしょう。手前が排気口、奥に見える小さな穴がファンの軸が通っていた穴なのでしょう。
排気口から更に中へと入っていきます。
奥は少し広くなっていて、坑道内へと続く通風抗がありました。途中で埋められていますが、かなり急な角度で降りて行ってるようです。この先に炭鉱の坑道があったと思うと、なんだかワクワクしますよね。この奥はどうなっているのか、興味が沸いてきますが見に行く事は出来ません。坑道発掘とか聞いたことないですが、見に行ってみたいですよね~…
坑内へと続く通風抗を背にファンの方を見てみると、Y字状になって二股に別れています。空気抵抗を減らすため流線形に尖った造形、天井の換気口から入ってくる太陽の光、とても神秘的な光景です。
外に出て観察してみると、半ば埋もれかかった小さな小部屋の入口がありました。おそらくここが機械室だったのでしょう。
通風抗が地下へと潜る部分、地上の先端部。ここから坑内へと続いています。
凄いですね、昭和半ばまで日本の近代化を支えた炭鉱の跡。殆どの遺構が失われていますが、大町町にはこれほどの遺構がまだ残っているんです。街なかに残る炭鉱住宅や、炭鉱町として賑わっていた頃の面影を残す商店街など、まるで町全体が炭鉱ミュージアムのようです。難しいとは思いますが、なんとか今の姿を残して欲しいですよね。
ただ、惜しいのは炭鉱時代の情報が少なすぎる事。ウェブ上で杵島炭鉱の全体図すら見つからず、当時の写真などの公開も不十分。細かい炭鉱時代の資料をもっとオープンに誰でも見えるように開示して、これらの遺構や街並みを楽しめるような取り組みがあると楽しみが数倍、いや、数十倍増すと思うんです。
失礼ながら、大町町という地名はこのサイトを開設するまで聞いたことも無い場所でした。しかし、実際に行ってみると昔懐かしい昭和の雰囲気を色濃く残し、炭鉱の遺構が数多く存在するなど、とても魅力的な町でした。今回はひとまずここまでですが、いずれまた近いうちに残りの炭鉱遺構を探して訪れてみたいと思います。
廃墟好きの皆さん、ぜひ大町町の炭鉱跡や炭鉱町の雰囲気を味わいに来てください。かなりおススメです。
「杵島炭鉱第4坑の通風坑跡」
MAP: 佐賀県杵島郡大町町大町 Googleマップへ(おおよその位置にマークしてます)
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