立派なお寺の跡。なんで廃寺になったんでしょう?
小城藩主鍋島家の菩提寺「祥光山星巌寺跡」に残る五百羅漢を見に行ってきました。
今回紹介する五百羅漢があるのは、小城藩主鍋島家の菩提寺であった祥光山星巌寺の跡。境内には歴代小城藩主の墓所もあり、立派な楼門が残る寺の跡です。
祥光山星巌寺跡は1684年に小城鍋島二代藩主直能によって建立され、宗派は禅宗の中でも中国の様式を色濃く残す黄檗宗のお寺でした。本山は京都宇治市にある萬福寺で、星巌寺はその末寺にあたります。
星巌寺跡の入口に建つ楼門は、1852年に建てられた中国風の楼門で佐賀県の重要文化財に指定されています。建てられた時期はちょうどペリー来航の前年、江戸から明治へと時代が動き始める時でした。
近づいてみると、年季の入った立派な門です。
楼門をくぐる事は出来ないので、脇にある通路から寺跡へと入ると中は広場になっていました。
広場の奥には、回廊へと続く階段があります。
階段を上ると、これまた情緒ある回廊があります。
五百羅漢は回廊を渡ってスグ、奥に見える小城藩歴代藩主の墓所を守るかのように建てられています。
個性的な顔をした羅漢像が沢山ありますね、ここには200体ほどの石仏があるそうです。
羅漢像の完成時期は江戸時代中期、石工平川徳兵衛の一族による作と推定されています。
本当に表情が豊かで、こちらの仏さまは笑い声が聞こえてきそうなほど楽しそうな顔をしています。
その近くでは、なにやら思い悩んでいるような仏さま。やはり仏といえども、悩みがあるんでしょうか。
五百羅漢の中を真っ直ぐに続く通路、その先には小城藩主の墓所があります。
墓所は門が閉まっていたので、回廊に戻って先に進んで行きます。
少し進むと、18世紀頃に建てられたとされる報恩堂がありました。
報恩堂には歴代小城藩主の位牌が安置されているそうです。
回廊を奥まで抜けると、そこには広場があり平成の五百羅漢として様々な石仏群がありました。
この道は「山辺の道」といわれる千葉城跡へと続く散策路になっています。総延長2.2キロと片道30から40分で歩けそうな距離なので、散策に丁度いいですね。
廃寺跡に残る五百羅漢と藩主の墓所、一部に残る寺の遺構。寂びの風情を楽しめる、最高のスポットですね。寺跡を見る限りかなり大規模な寺だったことが分かるだけに、諸行無常、日本人の心に強く訴えてくる風景です。
しかし、私の中でどうしても引っかかる事がありまして・・・それは、いつまで寺があったのか、なぜ廃寺になったのか。ネットで調べてもどこにも書かれていないんです。
これだけの規模を誇ったお寺です、藩主の菩提寺で、最後の小城藩主11代直虎公が大正時代に埋葬されているんです。事実が分からなくなるほど昔の話ではないはずなのに、なぜ小城市の観光情報で紹介が無いのでしょうか。
う~ん、不思議ですね。なぜこのお寺は廃寺になったの?暇が出来たら、少し調べてみたいですね。
「小城の五百羅漢」
MAP:佐賀県小城市小城町畑田3116 Googleマップへ
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