佐賀城の鬼門を守る出城跡から城下町を守る外堀(十間堀)を唐人まで歩いてみました。
桃山時代から江戸時代初期に築かれた大大名の城で、よく外堀と内堀という言葉を聞きます。現在佐賀市に残る佐賀城跡は広い堀に囲まれ外堀が無いように見えますが、実は500メートルほど北に十間堀と呼ばれた外堀がありました。この堀は佐賀城の北東から北西にかけて、城下町を囲むように掘られていました。さらに、佐賀城の北東と北西にはそれぞれ出城が築かれ、北側からの攻撃に備えていました。
大財端城の詳細は不明ですが、城郭放浪記によると龍造寺胤家(たねいえ)の城であったとも伝えられているそうです。龍造寺胤家は龍造寺家14代当主龍造寺康家の長男、佐賀鍋島藩の礎を築いた龍造寺隆信の曽祖父である龍造寺のスーパー爺さん水ケ江龍造寺家当主龍造寺家兼の兄にあたる人物。
なんでも龍造寺家内において、外交方針で対立し出奔したそうです。当主の長男といえば嫡男ですよね、それが出奔するとはただ事ではありません。当時の龍造寺家は現在の小城に本拠地を置く千葉氏に従っていましたが、大友、大内という2大勢力の圧力を受け、生き残りのために必死だったのでしょう。
鍋島直茂による佐賀城築城時には、出城として整備されていた大財端城。江戸時代の絵図などでは、清心院というお寺になっていますね。この清心院は1506年、龍造寺胤家が大財端城入城の際に鬼門守護として建立したお寺。龍造寺家と鍋島家の祈祷所となっていたそうなので、鍋島直茂や龍造寺の一族がこの境内を歩いていたのかもしれませんね。
いつまで城があったのか分かりませんが、江戸時代は城をいくつも勝手に持つことは許されませんでした。その代わりに、有事には軍事拠点として機能する寺を要所に配置して防衛にあたりました。この清心院も四方を堀に囲まれていて、有事の際には防衛拠点として機能する寺だったのでしょう。
城跡の形跡を探して境内をうろつくと、本堂の東側に畑があり
その先には見事な堀が残っていました。左岸が清心院、城跡です。見てくださいこの綺麗な風景、こんな場所が市内中心部にあるんです。
寺院の北端から北方向に広がる田。先に見える建物の場所に北面の堀があります。
南面は住宅街になっていました。
寺院の東面の堀から北面の堀へ、ちょうど北東角の部分。
北面の堀から清心院を撮影。目の前に広がる一帯が大財端城でした。
う~む、こういう写真を見ると広角レンズが欲しくなる・・・今使ってるのはコンパクトデジタルカメラなので、一眼カメラと一式買うとなると、貧乏人の私には無理か・・・
ここが北西の角の部分。
そして西面の堀。
見事に当時の形が残る城跡ですね、東、北、西と3方に堀が残っています。
さらに、南面には佐賀城の外堀、十間堀があります。この場所がまた、とっても風情のある風景。
さらに東方向へ伸びていく堀。とても綺麗に整備されています。
ここから向かうのは佐賀の中心部方向。西方向に延びる十間堀に沿って歩いて行きます。左岸が佐賀城下町。
防御施設としての堀ですから、当然、堀の内側には土塁がありました。今は無くなっていますが、土塁と堀の関係イメージとしてはこんな感じなのでしょうか。
写真は福井県福井市、一乗谷朝倉氏遺跡から朝倉義景館跡の土塁。
1間は約1.8メートルですから、十間だと約18メートル。現在残っている堀の幅は半分くらいでしょうか。
ずっと歩いてくると、大財橋に出ました。
大きな通りを渡って、ここから佐賀市の中心部。繁華街へと向かっていきます。
この十間堀は十間堀川と呼ばれ、東は巨勢川、佐賀江川を通じて有明海へ通じ、江戸時代には佐賀の物流を担う水路として多くの船でにぎわったそうです。鉄道による大量輸送網が構築されるまで、国内の物流は船による輸送が中心となっていましたからね。海から市内中心部まで続くこの水路は、佐賀を支える経済の生命線だったのでしょう。
しばらく歩くと、佐賀のシンボルともいえる巨大施設「エスプラッツ」が見えてきました。
続いて佐賀の歓楽街です。
歓楽街と言えばコレ、無料案内所。夜は賑やかなんでしょうね。私は夜来たことがありませんが・・・
十間堀にかかるレトロな橋と、古い門。かつては立派なお屋敷が建っていたのでしょう。こういう寂れ具合いが佐賀らしい、とっても癒されます。
十間堀を渡って続く路地、この先は白山名店街というアーケード商店街。旧長崎街道です。
橋の上から堀を見下ろすと、鯉が沢山泳いでいました。
堀から分岐して建物の下へと続いていく水路。
おぉっ!堀端に昭和レトロな路上遺産を発見。これは見事な銭湯ですね。
男湯と女湯の入り口が別れています。そして、この唐門風の屋根。残念ながら営業していませんが、この建物は古そうです。
こういうのが無造作に転がってるんですよ、だから佐賀はやめられない。新しい建物を作ってもどうせ都会に追い付けやしないんだから、もっとこういう古い建物を大切にすればいいのに。都会を追いかけても、地方は何もよくなりません。田舎は田舎らしく、古き良き時代の姿を残して日本人の心の拠り所になればいいんと思うんですけどね。
とても見栄えがするし、存在感のある建物なんですけど。扱いが雑に見える。
ここが佐賀城下への入り口、唐人町口があった場所。正面のアーケードから白山名店街、旧長崎街道です。
旧城下町図と案内の看板がありました。
佐賀駅の南口から真っ直ぐ南に延びる中央大通りに出ました。正面には古そうな建物が見えます。
創業100年を超える老舗の醤油蔵「佐星醤油」があります。一階の一部はギャラリーとして開放されていて、昭和初期の佐賀を知る事が出来る資料なども展示されています。一見の価値はありますよ、美味しい醤油の直売もありますし。
この中央大通りを渡って、十間堀はさらに続いて行きます。この先には龍造寺八幡宮などもあり、まだまだ見どころがありそうですよね。とりあえず今回の旅はここまで。はやく家に帰らないと、家内の仕事が終わるまでに自動車を返さないと怒られますから。
かつては佐賀城下町の外側だった場所を堀沿いに歩いてきたのですが、今では佐賀市の中心部。こんな中心部でも歴史遺構が往時の姿を留めているんです。これが佐賀の魅力なんですよね、歴史上の偉人と同じ場所に立ち当時を偲ぶ遺構が残る。
もう2年以上このサイトのため佐賀に通い詰めていますが、見るところがなくなるどころかドンドン深みにはまっていく。行けば行くほど、行きたい場所が増えてきて大変です。
佐賀にはシッカリとした魅力があるのですから、あまり浮ついたことばかりせず地道にドシッと腰を据えて王道を行ってほしいですよね。アイデアばかり先行して目新しさを追いかけ、結局何も残ってない・・・もっとアイデア出さなきゃ!という自転車操業に陥っている地域も多いですから。イッパツ逆転や流行を追わず、ゆっくり地道に人々の心に浸透していくようなPR活動。大切なのは、必然性と一貫性。アレコレやったら、けっきょく全部が中途半端になるんですから。佐賀にもアイデアの残骸がチラホラありますよね。
「大財端城跡」
MAP:佐賀県佐賀市大財2丁目4−5⇒ Googleマップへ
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