「船津製麺所」神埼そうめんの超老舗!360年以上の歴史と伝統を訪ねて神埼宿へ。
旧長崎街道の宿場町にある老舗製麺所、とっても素敵な店でした。
「船津製麺所」は長崎島原と九州そうめん界の双璧を成す「神埼そうめん」の超老舗なのです。
ちょうど記事を書いているのが梅雨まっただ中、これから夏に向かってガッシガシ暑くなっていく季節。そろそろ夏のグルメ「そうめん」が恋しくなってきますよね。
あ~、蒸し暑いな~、そうめん食いてェ・・・から始まった今回の記事。九州でそうめんといえば佐賀神埼と長崎島原。どうせ佐賀に行くなら、直接メーカーに出向いて「そうめん」を産直でゲットしようじゃないか!という事で神埼市の旧長崎街道「神埼宿」に行ってきました。
う~ん梅雨空、曇り空が残念ですが、お目当ての「船津製麺所」は時代を感じさせる旧宿場町の中にあります。商店街の入口から雰囲気抜群、楽しみです。
長崎街道は江戸時代、日本唯一の外国への玄関口へと続く街道でした。そのため、様々な人や物、動物などが往来しています。1728年には将軍吉宗の求めでベトナムから来た像が長崎街道を江戸まで歩いたとの事なので、ひょっとしたらここも歩いたのかもしれませんね。
ちなみに、像は一日に16~20kmを歩き2か月半かかって江戸に到着したそうです。他にもキリンやラクダ、オランウータンなど当時の珍しい動物たちが長崎から江戸へと向かうため長崎街道を利用しました。
歴史を感じさせる建物が見えてきました、ここにも神埼そうめんの製麺所があります。最盛期には三百件ほどの製麺所が軒を連ねたそうです。
古い宿場町だけあって、このようなお寺がアチコチに点在しています。
この門の装飾、なかなか凝ってますよ。門には五三の桐紋があり、鯉の滝登りの彫り物。かなり年季の入った、立派な門です。
彫り物のアップがコチラ。鯉の滝登りですよね?
近くの空き地を見ると、間口が狭く奥に長い土地。典型的な町屋の跡ですよね、このような区画がアチコチにあるので大きな宿場町だったことが分かります。
所々に古い建物が残っていて、旧街道の面影を残しています。
おっと、ここにもお寺。
続いてドーンと大きなお寺。コチラは脇本陣として使われていた寺だそうです。本陣というのは参勤交代時に各藩の殿様が宿泊したり、幕府の要人が宿泊する施設。脇本陣は二組同時に本陣宿泊クラスの要人が来た際に使用されました。
また、この辺り一帯は神埼宿の西端部になるのですが、西の入口から真っ直ぐ来て脇本陣で直角に曲がっています。寺というのは当時、軍事的な施設としても機能していた為、西木戸口からの侵攻に対しての防衛施設としての機能も持っていたのでしょう。
江戸時代の町割で、寺を狭い地域に集中させて寺町にしたり城の四方に配置するのは、有事の際には兵を駐屯させる駐屯地や砦として機能させるためなんです。江戸時代は支城や出城の建設が制限されていたため、各大名は重要な拠点に寺を配置して街を守ったんですね。
脇本陣跡「眞光寺」の境内。
道路を渡った向かい側にも大きな建物。
ちなみに、本陣跡は体育館になっていました。
脇本陣だった眞光寺の横に流れる水路、真っ直ぐじゃないところが良いですね。往時の姿をとどめているのでしょうか、雰囲気がとてもイイ!
東西にはしる旧長崎街道、西から東方向を撮影。正面の大きな屋根が脇本陣跡「眞光寺」で、ちょうど突当りのようになって街道は左へ直角に曲がります。直角に曲がる手前、左側も寺の境内地になっています。仮に西側から長崎街道沿いに侵攻した場合、防衛側が眞光寺に兵士を配置して防衛戦闘を行えば、侵攻軍は正面と左側から十字砲火を受ける事になります。そして道は左へ・・・強引に突破しようとすれば、侵攻軍は多くの犠牲を出しそうですね。
この旧長崎街道界隈でも一際目を引く、古い立派な建物が見えてきました。そう、ここがお目当ての場所「船津製麺所」です。
木造の重厚な店構え、さすが神埼素麺の老舗です。見るからに歴史を感じさせる町屋造り、そうめん一筋360年以上というのは伊達ではありませんよ。
お店の隣には製麺所の施設。町屋作りですから、表から見える広さだけでなく奥に長い造りになっています。
のれんには創業六代の文字。爽やかな青が印象的です。
中に入ると、古い建物独特の重厚感。数々の賞状が飾られています。
こっちにもズラリ。
当然ながら、直接そうめんを購入する事も出来ます。
そうめん、ひやむぎ、そば、ラーメンetc…直接販売は乾麺のみの取り扱いの様です。
しかし見事なお店ですね、最近はこんな古い建物で営業している老舗も減ってきました。お店の方に聞くと、やはり古いなりにイロイロ大変なんです・・・との事。そりゃそうですよね、維持するだけでも相当に苦労されている事でしょう。
そういえば「賢い消費者」という言葉をご存じでしょうか。よく賢い主婦なんていわれて安売りを追いかけ、少しでもコストパフォーマンスをアップさせることを指す言葉として使われます。しかし、本当の意味は、社会経済の中でどのようにお金を循環させるかを考えて消費する人を指す言葉なんです。
自分の消費行動によって使われたお金が、社会にどのように役に立つのか、また、影響を与えるのかを考える。町おこしだの地域活性化だ!と啖呵切っている人が、当たり前のように県外企業のショッピングモールで買い物をし、県外企業のチェーン店でご飯を食べていたらどうでしょう。それは賢い消費行動でしょうか。都会の企業が地方に出店し、労働力だけ地元で確保して僅かな給与を地元に落とす。一番大きな富は都会の企業が吸い上げて、さらに従業員に払った給与も自分の店で使わせる。これではまるで植民地です。
観光新興を声高に叫ぶ人が、地元のそうめんではなく博多のデパートで揖保乃糸なんて買っていたら・・・
ということで、こういった古くから受け継いだ物を大切に守りながら商いを続けている商家は、地域の経済文化の象徴です。ぜひ応援していきたいですよね。今の私程度では何も出来ませんが、何とか「地域で頑張ってる人を応援できるような立場になりたい」というのが私の夢です。まぁ、叶わないから夢なんですけど・・・追いかけるのは自由ですよね。
と、いろいろ書いたところで話を戻します。このままだと暴走しかねませんw
船津製麺所から少し行くと、ここにも神埼そうめんの看板を出しているお店がありました。
このあたりは神埼宿の西端部、近くに江戸時代の入口「西木戸口跡」があります。
西木戸口跡は公園として整備されていて、中には神埼宿の案内看板が設置されていました。
また、神埼そうめんを食べる事が出来るお店もあります。
ここ神埼宿は部分的に古い街並みを残していますが、残念ながら明治時代に全焼しているんです。佐賀藩士が政府に対して起こした反乱「佐賀の乱」の戦いで、鳥栖朝日山で反乱軍主力と政府軍が激突。この戦いで反乱側が敗北、佐賀藩士の一部を中心とした反乱軍は佐賀城を目指して東から西へと敗走していきます。その途中で神埼宿に火を放ち燃やしてしまったんです。
そんな歴史を持つ神埼宿ですが、明治・大正の面影と昭和の姿を残す貴重な街並みは健在。暑い夏、そうめん食べたい!と思ったら散策がてら産地を訪れてみてはいかがでしょう。観光地として用意された場所を見に行く旅も良いですが、自分自身で旅の目的を作って出かけるのも面白いですよ。
当然ですが製麺所を見に行っただけでなく、神埼そうめんを購入してきたので簡単なレビューを。
まず手触りの良い和紙の袋に入った船津製麺所のそうめんは、とっても縁起が良さそうなパッケージが最高に素敵。これ、開店祝いとかでプレゼントするとと喜ばれそうですよね。宝船が書かれて、商品名が「宝入船」です。新居の新築祝いや、進学祝いなんかにも縁起物として良さそうです。
もはや「そうめん」は夏の非常食と言っても過言ではありません。蒸し暑くて食欲が落ちても、これならツルツルといくらでも食べられます。夏バテする人は、お世話になる事も多いのではないでしょうか。
冷蔵庫を見たらネギも無かったw
ということで、薬味無し、そうめんのみでズズッといきます。
激細系ではなくて、程よい太さがあるのでモッチリしてます。素麺の味も感じられて、風味がいいです。なんというか、ほどよい弾力と噛み応えがあり、素朴な手作り感があって風味や味が濃い。「田舎そうめん」という言葉がふっと頭をよぎりました。
う~ん旨い!これならいくらでも食べられそう、夏野菜の天ぷらとか刻んだオクラや薬味にミョウガがあると最高ですよね。神埼という場所は、つい最近まで全く知りませんでした。なんといっても私は関西人ですからね、九州は遠すぎて・・・
しかし、実際に来てみると様々な史跡や合戦場がゴロゴロ転がっていて、凄い老舗がアチコチで頑張ってる歴史とグルメの街でもあるんです。神埼に限らず、佐賀は予め用意された観光地を訪れる「受け身型の旅行者」には向かないかもしれませんが、自分から面白い事を探して旅を楽しめる人には魅力的な場所ですよ。そんな人たちが興味を持つ入口となるような情報を提供することが、このサイトの存在価値なんじゃないかな~なと思っています。ということで、神埼もまだまだ行きたい所があるのでこれからも取材に赴きますよ~!乞うご期待。
「神埼そうめん 船津製麺所」
MAP:佐賀県神埼市神埼町神埼570 Googleマップへ
営業時間:8:00から19:00
定休日:年中無休
船津製麺所の商品は、公式サイトから購入できます。詳しくは下記リンク先をご覧ください。
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