戦後闇市の末裔、佐賀の昭和レトロな景観を代表する「寿通り商店街」が閉鎖しました。
私が佐賀の面白さに惹かれていく切っ掛けになった昭和レトロな商店街「寿通り商店街」が2017年6月で閉鎖しました。太平洋戦争の戦火をまぬがれた佐賀市は、明治・大正から昭和にかけての建物が数多く残っている街。街割も城下町のまま残り、旧長崎街道に沿って様々な古い建物が残っているレトロな雰囲気がステキな街です。そんな数あるレトロなスポットの中でも、ひときわ存在感のある商店街が「寿通り商店街」でした。
※この記事は2015年4月14日に投稿した記事を、新しい写真を加えて2017年6月20日にリライトしたものです。この記事は2017年5月初旬に訪問した内容を元にしており、記事内容が現状と著しく異なることがあります。ご了承の上でご覧ください。
私が佐賀ポータルを開設し、取材のために訪れるようになったのは2015年前の4月3日。寿通り商店街は佐賀とは縁も所縁もなく仕事で何度か来ただけであった私が「佐賀をもっと取材したい」と思う切っ掛けとなった場所の一つ。松原神社参道の新馬場通りとあわせて、佐賀ポータルの原点ともいえる場所です。
寿通り商店街は昭和のドヤ街の雰囲気を色濃く残した商店街で、始めてこの商店街を見つけたときは「スゴイ場所を見つけた!」と嬉しくなりワクワクしながら中へ入っていった事を今でも思い出します。そんなステキな場所が失われると聞いて無くなる前にもう一度この訪れなければならないと思い、2017年5月、閉鎖される前月に訪問しました。
失われてしまう事はとても残念ですが、今まで維持していた方々の気持ちを考えると時代の流れとして仕方のない事であり、むしろ私が訪れ、こうやって記事を書くまで残しておいて下さったことを感謝したいと思います。
前回私が訪れたときの西側入り口。シャッターが目立ちますが、まだまだ現役の商店街。
そして2年が経ち同じ場所を訪れると、店は既に閉店していました。
中に入るとこの風景、まるでドラマや映画のセットのような「昭和の市場」感がハンパ無く漂っています。日本が活気に溢れギラギラしていた時代、昭和40年代の高度成長期を彷彿とさせる商店街。
アーケードの上へと続く階段。あ~~上りてぇっ!
この上からの風景を最後に見てみたいという欲求に駆られます。
梯子の所にあった開口部から商店の裏側が見えました。私の祖母が大阪の都島区京橋という下町に住んでいたのですが、まさにこんな建物が沢山ありました。懐かしいなぁ。
通路を真っ直ぐ進んで、松原神社側の西入り口から入ってちょうど突き当り。前回来たときは営業していたお店も、既に閉店していました。
ちょど道が左右に道が別れています。T字型の商店街ですが、北方向にあたる左側は建物に突き当たって行き止まり。
「おんじい」って、また渋い名前のスナックですね。女性の名前はよくありますが「おんじい」って・・・その上に薄っすら残っている美容室の名前、なんと読むんでしょう。てか、美容室を改装したスナックだったんですね。
店構えが明らかにスナックじゃないですもんね、こんなに大きな窓があるスナックなんて見たことがありません。これは貴重というか、とっても個性的な店です。
行き止まりになった場所から後ろを振り返り、T字のもう一方の道、南方向を見てみます。
どうですかこの景観、圧巻ですよね。とてもレトロで個性的、そして歴史を重ねた建物が持つ迫力。佐賀をくまなく探しても、どこにもありませんよこんな場所。
私が訪れたのは2017年5月の始めなので、ここにはまだ営業している店が何店舗か残っていますね。
お店の間にある支柱を見てみると、何かワイヤーがかけられた装置が付いています。
なんでしょう、懸垂幕や垂れ幕を上げ下ろしするためのものでしょうか。それとも、天井の何かを操作するためのものなのでしょうか。
上を見上げてみたのですが、どこに繋がっているのか分かりません。
ルイというお店。シャッターは上がっていますが、すでに片づけ始めているのでしょうか
いかにも昭和的な丸い窓が特徴の喫茶店。こちらは営業中でした。6月に全店が閉店します。
2年前に来たときはお隣も営業中だったんですが、既に閉店していました。
そのまま通路の端、南側の入り口まで行って後ろを振り返ってみました。
規模は小さいのですが、懐かしい雰囲気を持つレトロな商店街。大切にされてきたことが良く分かります、明るくて凄くキレイですもん。
この南側には東西に走る路線バスのバス停があるんですよね。
最初に入ってきた西側の入り口には、南北に走る路線バスのバス停があります。二つの入り口がそれぞれバス停に隣接している、とても便利な商店街だったんです。
寿通り商店街は1946年頃に出来た闇市をルーツとしているそうで、多いときは60もの店がありました。1980年代のバブル頃までは賑わっていたそうですが、昭和から平成に移るころには老朽化が進み、20店ほどに減少。直近では6店にまで減っていたそうです。
こういう個性的な場所を守り残していってこそ観光地としての魅力が出て来るのですが、街並みや建物を保存して守っていくという「観光まちづくり」はそれ自体が経済効果を主目的としていないために地域の人にとって負担になるんですよね。しかし長期的に見れば、地域の観光資源として価値を高めるかけがえのない資産になっていきます。目先の経済活動か将来の資産か、立場によって考えは異なるでしょうし選択は難しい。
誰が言ったか忘れましたが「100年間、街並みをそのまま残し生活様式も変えずに守り続けたなら、その町は有名な観光名所になる」という言葉を思い出しました。観光地化と住民の生活利便性向上とは相反する面も多く、経済性の観点からも合理的でないために難しいでしょうけどね。
それでも長くつらい困難を乗り越え古い街並みを残した地域が、今は注目を集め「観光地」としての地位を不動のものとしている事も事実。
建物などが残ってさえいれば、どこにでもあった宿場町が全国でも有数の観光地になります。
もしも本気で観光振興に注力するのであれば、アレもコレも手を出して話題性やアイデア先行で一貫性の無い取り組みを続けると中途半端な結果しか残りません。結局のところ大衆受けする分野で、何か一つでも絶対的な強みを持った地域が勝つ。観光は特にそういう傾向が強い気がします。絶対的な強みがニッチな分野に走りすぎると、それはそもそもターゲットが少ないという問題が発生します。古い町並みは万人受けするジャンル。古い建物を残すというのは、一番確実な観光地を目指す街づくりかもしれません。
今回のニュースを切っ掛けに改めて「寿通り商店街」を見て、ふと思い出したのが久留米にある日吉村。久留米に行った際に立ち寄ったのですが、昭和レトロな雰囲気がステキな市場でした。写真だけ撮って記事を書いていなかったので、時間があれば記事をアップするかもしれません。
今は市場というより飲食店ばかりのグルメスポットになっていましたが、昭和レトロな雰囲気を活かしつつスペインバルなど新しい店が続々と出店し地域住民や学生たちが活性化に取り組んでいます。
福岡市内でも昭和30年代のビルを有志が活用し、昭和レトロを楽しむステキなスポットとして人気を集めています。
リノベーションミュージアム冷泉荘⇒http://www.reizensou.com/
他にも門司の中央市場も寿通り商店街と同じような闇市をルーツに持つ市場ですが、カフェバーやサンドイッチショップが出店し昭和レトロを味わえるスポットとしてジワジワ人気が出てきています。
昭和レトロというのは昭和世代だけでなく若い世代にも受け入れられて、いまやブームではなく完全に定着した一つのジャンルになっています。寿通り商店街がどうなるのか今後の事はニュースに書かれていませんでしたが、これだけの敷地を仕入れることが出来る先となると限られてきますよね。
いずれにしても、解体される前に「寿通り商店街」に出会えた。それも佐賀とは縁も所縁も無かった私がですよ。10年前には考えもつかなかった事。縁とは不思議なものです。
そんな不思議な縁により出会った「寿通り商店街」が今後どうなるのか、もう少し見守ってみる事にします。
「寿通り商店街」
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