「鳴瀬宿」は佐賀武雄市にある旧長崎街道の宿場町、観光地として整備されていない自然な街並みでした。
なんというか、とってつけたような観光整備をされてないのが良いですよね。あるがままの姿で年月を重ね、今に至る旧街道の街並み。とっても風情があって、素晴らしい場所でした。
観光地じゃないので当然ながら駐車場もありません、路肩が大きくとってある道が広がってる場所に駐車して歩いて旧宿場町へ入っていきます。
すぐ近くまで山が迫ってきています。奥には石垣、段々畑になっていますね。
かつての繁栄を偲ばせる立派な日本家屋が見えてきました。二階の屋根が落ちてしまってるのが残念ですが、これも地方のリアルな姿。
古い石積みが残る水路。こういった水路が各所に巡らされています。
歩いてきた方向を振り返ってみました。
そして再び鳴瀬宿の中心部へと進んでいきます。
この家も古いな~。こういう日本家屋を見ると、心が癒されます。
これは門柱でしょうか?不思議な形になってます。
一度崩れたのを積み直したのかと思ったのですが、レンガが削れてますね。元からこの形なのでしょうか。
うわ~っ!きた~~!いいですよこの風景。なんていうんだろ、典型的な日本の風景じゃないでしょうか。鳴瀬神社は、山のふもとの鎮守様という感じです。
さっそくお参りしていきましょう。
一つ目の鳥居をくぐって、コチラが二つ目の鳥居。年季入ってます。
社殿へと続くこの石段もとても古そうです、何年前からあるんでしょう。
途中横に入る場所があり、その先には建物がありました。山の中でひっそりと朽ちていく家屋。
こういう風景も良いですよね、まさに寂びの風景。池があるので、かつては立派な庭があったはずです。
建物に近づいてみました。なかなか立派な屋敷ですね、どんな人が住んでいたのでしょう。
道を戻ってお参り再開です。この階段をのぼれば本殿に・・・と思ったら、改修中でしょうか、足場が組まれていますね。
階段を上ると狛犬がお出迎えです。
なかなか愛嬌のある、カワイイ顔ですよ。
改修というより、新しく立て直しているようです。頂上には祠がありました。足元には建物があった跡らしき基礎のような広場があります。
では、いよいよお参りを。
祠に近づいてい見ました。隣には、忠魂碑と書かれた祠があります。
さて、山を下りていきましょう。ここにも樹齢数百年クラスの木がありましたが、もう佐賀で古い木を見ても驚きません。だってもう、アッチコッチにあるんですもん。
さて、再び街道に戻ると、郵便局がありました。
そして、神社があれば次はお寺。参拝者用の駐車場があると思ったら、止められませんね・・・
西岸寺、ここもまた雰囲気の良いお寺です。昔の人も、同じような光景を見ていたんでしょう。
この山門は古そうです。
推定樹齢500年という大イチョウ。
堂々とした造りの立派な本堂。
鳴瀬宿には本陣が無かったために、本陣の代わりとして使われていたこともあるそうです。また、狩場に近いため、鍋島藩主の休憩所としても利用されたとか。
西岸寺を過ぎて、さらに歩いていきます。
大正3年から続く老舗メーカー、鳴瀬みそ・醤油で有名な角味噌醤油がありました。直売所があるかと思い探してみたのですが、見当たりませんでした。
敷地内にはおお堂があり、お地蔵様が祀られています。
ここに鳴瀬宿の説明が書かれていました。
鳴瀬宿は、江戸時代には「成瀬宿」と書いたようですね。長崎街道の宿場町としてだけでなく水運の拠点としても大いに発展していたそうで、佐賀本藩、蓮池藩の倉庫などがあったそうですがそれらしい遺構は見当たりませんでした。
以前は宿場町のすぐ近く、この写真の場所が六角川でした。ここに川港が作られ、水陸両方の交通の要衝として栄えたとのこと。鳴瀬宿には問屋や宿屋、継ぎ場、高札場なども設置されていました。
かつての繁栄を偲ばせる街並み、今は山の麓にひっそりと佇む静かな田舎の風景が美しい。
鳴瀬宿のような場所を訪れると、大きな時代の中で営まれる人の世の儚さを感じます。
「諸行無常」全ての事柄は常に変化し、同じ姿をとどめる事は出来ない。まさにその言葉通り、繁栄と衰退、今後50年間で4千万人も人口が減るとされる日本。私が見た街並みもまた刹那の風景、同じ姿をとどめる事は出来ません。
だからこそ、街を歩くのは楽しいんです。今の風景から過去の風景に思いを馳せ、そこで営まれてきた人々の生活を思う。また数十年先、この地はどのような姿になっているのか。また、訪れた人が何を思うのか・・・
街歩きは楽しいですね。
「長崎街道 鳴瀬宿」
MAP:佐賀県武雄市橘町大字芦原4850(公民館)Googleマップへ
最新情報をお届けします
Twitter で佐賀ポータルをフォローしよう!
Follow @SagaPortalCopyright © 佐賀ポータル All rights reserved.