「櫛田宮」吉野ヶ里遺跡のほど近く、旧長崎街道神埼宿にある神社。
お櫛田さんと言えば「博多祇園山笠」で有名な、博多では知らない人がいない博多の総鎮守「櫛田神社」のこと。そんな博多櫛田神社の元宮といわれている神社が、佐賀県神埼市にあるんです。
その名も「櫛田宮」。
櫛田宮は日本書紀や古事記に登場する第12代景行天皇がこの地を訪れた際に建てたもの。この天皇は日本を代表するヒーロー「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」のお父さん。景行天皇は西暦71年頃(日本長暦による)に即位したと考えられているので、創建から2000年近い歴史を持つ弥生時代から現在まで続く国内有数の古社です。
博多の櫛田神社は757年の創建。博多櫛田神社によると「松阪にあった櫛田神社を勧請した」となっているので、神埼の櫛田宮に伝わる話と少し異なりますね。
そんな神埼の櫛田宮、この神社ができた頃といえばなんと!今は遺跡になっている吉野ヶ里が最盛期へと向かっていく頃、日本の神様が現役だった神話の時代を今に伝える神社。何気なく立ち寄った神社が日本屈指の歴史を誇る神社で、しかも日本武尊の父親が創建し、日本武尊が神様として祀られているとは…こんな出会いがあるのが佐賀。ほんと面白い話が各地に転がっています。
私が今まで行った神社の中で一番古いのはなんといっても伊勢神宮、櫛田宮はその次くらいに古い神社かもしれません。福岡の住吉神社とどっちが古いのかな…というくらいですね。いずれにしても神社で祭られている神様達が、現役で働いていた神話時代の神社。
そんな凄い神社がこんな場所にあったんですね。これはお参りしないわけにはいきません、鳥居をくぐって中へと入っていきます。
参道を歩いて最初に見えてくるのが見事な肥前鳥居。
その左奥にあるのが「琴の楠」と名付けられた推定樹齢1000年ともいわれる楠。景行天皇が琴を埋めた場所から芽が出たという楠、清浄な人が息をとめて7回半回れば琴の音色が聞こえるという言い伝えがあります。
二の鳥居をくぐって先に進むと琴の池と、池を渡る立派な神橋。
新橋の手前から右手方向に厳島神社があります。
厳島神社が建つ琴の池にある中ノ島に渡り、参道を神橋を見る。歴史を感じさせるいかにも古そうな橋、蔦が絡まった橋と背景の松が組み合わさって見事な景観。
参道に戻り神橋を渡りましょう。
神橋の上から右手の琴の池を見ると、とても綺麗な光景が広がっていました。
橋を渡り終わると目の前に武骨で重厚な神門。
ふと左を見ると丸窓が特徴的な日本家屋が建っていました。この家メチャメチャかっこいいですよね、大きな窓と横に丸窓。絵になるというか、すんごくオシャレな外観。
櫛田宮は大昔この地を荒神が襲い、景行天皇が櫛田宮を創建されてから人民は幸福になりこの地を神幸郡と名付けた。この神幸郡がなまって、いまの神埼郡になりました。
他にも鎌倉時代には元寇に際して神剣を博多の櫛田神社に奉還したり、オロチ退治の話などが伝わっています。祭神は須佐之男命、櫛稲田姫命、日本武尊。
神門に掛けられた神社の略記。
神門をくぐって正面に拝殿。
日本武尊は景行天皇の皇子ですから、創建当初は祭られていなかったのでしょう。オロチ伝説に関係しているのか、須佐之男命はヤマタノオロチを退治した神様。櫛稲田姫命はヤマタノオロチに食べられそうになったところを須佐之男命に助けらた神様。二人は結婚し、大国主命を生みます。
左手には社務所。
その横にはお寺があります。安居寺というみたいですね、浄土真宗本願寺派のお寺です。
このお寺、山門横のお堂に見事な像がありました。
格子からカメラのレンズを突っ込んで撮影してみると、そうとうな年代物じゃないですかね。なんという仏様でしょう、すごく貴重な像のように見えます。
足元には鬼のような悪者を踏みつけています。この像はとても良くできていて、見ごたえ十分。櫛田宮に行ったら、ぜひ見てもらいたい。
少し寄り道しましたが拝殿前に戻って、参道方向を見てみます。神門から神橋、鳥居を抜けて西へと続く長崎街道。
正面に向き直って拝殿へ参拝します。願い事は…秘密ですよねやっぱ。
こちらが県重要有形民俗文化財に指定されている御神幸祭絵馬でしょうか。御神幸とは隔年で開催される「みゆき大祭」の行事の一つ、偶数年の4月第一土・日曜日に開催されます。
拝殿におみくじの販売機がありました。一回30円、とってもリーズナブル。レトロな機械がいい感じ。
ということで引いてみました。結果は末吉…これは微妙だ。
「人と心通ぜずあらそいが起ります」って、嫌だなこれ。
恋愛「あきらめなさい」とか、ズバッとと来ましたね。私は結婚してるので今さらどうってことないですが、独身だったら落ち込むかも。
参拝を終えて、少し散策してみましょう。
ちょうど拝殿の横に資料室がありました。中を見学することは出来ませんが、ガラスになっていて中が見えたので覗いてみます。
古い写真や衣装などとともに大砲がありますよ。
これはオランダの大砲で、東インド会社の商船に装備されていたものだそうです。日清戦争の戦利品として献納されたもの。日清戦争といえば下関条約、清の属国であった朝鮮を日本が独立させた戦争。
清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)
日清講和条約wikipediaより
後に日本が併合することになったのは残念な事ですが、独立直後で自力で国を守る力がなかった朝鮮。清国が弱体したために不凍港を求めて南下するロシアか、目の前にロシア軍が進出することを嫌った日本、どちらかに併合される運命にあったのです。日本は手を出さずロシアに任せていれば、ソ連の一員になって後々面倒なことにならずに済んだかも?歴史のIFですね。
資料室から奥へ歩いて行くと、印鑰(いんにゃく)神社がありました。
印鑰は役所の鍵と錠前の事、この地は古くから神埼支配の中心的な地だったのでしょう。
近くに稲荷神社が二社あります。
さらに歩いて行くと、神埼の発祥となった「櫛山」にでました。
最初のに櫛田大神を祭った場所がここ。初期の頃は神を祭る社は建物を持たなかったそうです。なのでここが最初の社だったのかもしれません。
そして櫛山にある神埼のオロチ伝説ゆかりの地、災難転除の旧跡。
神社裏一帯を櫛山と称して、古代神祭の旧跡と伝える。かたわらに石造の酒甕と伝えられるものもあり、祭神がヤマタノオロチの災厄をのがれ給うた神話の証として、生児のヒハレ(初宮)詣りの際、その生毛を納めて生育を祈る風習がある。
櫛田宮HPより
ここが古くから祭神を祭る重要な祭壇だったのでしょう。
これらのほかにも神埼素麺発祥の地や祇園社などが建ち、300坪あるという琴の池も大きくてとても風情があるんです。
境内の地図を見ると、見どころがたくさん書かれていますよね。
櫛田宮は神埼市役所のスグ裏から行けます。国道からくるなら、市役所の駐車場に車をとめるのが一番分かり易いでしょう。櫛田宮駐車場の入り口もあるのですが、私は見落として市役所から入りました。
櫛田神社からみた神埼市役所、国道側から入って裏へと抜ける道を通ればこの駐車場に来ることができます。
周辺は旧長崎街道、神埼宿の中にあるので近くにレトロな建物もあります。
神社の規模としてはかなり大きく、歴史を感じさせる鳥居などが多く残る神社。昔の面影を残したとてもいい場所です。さらに現在の神社の原型ともいえるような祭壇が残るなど、弥生時代から続く日本人のルーツに触れることができる場所。
日本の神々が現役で活躍していた時代、吉野ケ里遺跡の文化が最盛期へと向かう時代。そんな昔からこの場所で祭礼が行われていたんです、すごいと思いませんか。ここに来れば弥生時代の人たちが崇めた神様を、同じ場所に立って参拝することができます。すんげ~歴史ロマン。
しかも吉野ケ里遺跡からもほど近く、ついで観光で立ち寄るには絶好のポジション。吉野ケ里遺跡で暮らしていた人たちも、ここへ参拝したかもしれません。
1900年以上の歴史を持つ古社なんてそうそうあるもんじゃない、神埼宿の風景も含めておススメのスポットです。神埼宿内にある老舗の製麺所も工場直売していたり、お土産も買えて便利ですよ。
「櫛田宮」
MAP:佐賀県神埼市神埼町神埼419−1⇒ Googleマップへ
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