島津や大友といった守護大名が強大化した九州において、地方領主からの成り上がった肥前佐賀の猛将「龍造寺隆信」の時代。
佐賀は田舎です、県内の人口は約85万人(2010年度調査)。全国47都道府県中42位(2010年度調査)、九州で唯一100万人にとどかない県。九州一のマイナー県と言われ、地元の人は佐賀には何もないと口をそろえる。
今からさかのぼること500年ほどの昔、時は室町幕府の時代。京都で発生した応仁の乱から始まった戦乱の時代、地方領主も巻き込んだ大戦が発生。応仁の乱収束の後、1493年にはクーデターで将軍が失脚。旧来の秩序は失われ、世は戦国時代へと突入していきました。
九州は戦国以前から九州の守護勢力や九州探題の幕府勢力、周防山口を本拠地とする大内氏の侵攻など戦乱が絶えない地域。中央の混乱による秩序の崩壊は、争いを更に激化させます。そんな中で佐賀は守護の力が衰え、数多くの地方領主がひしめく群雄割拠の時代を迎えます。
各領主はそれぞれに城や館を築き、一族の存亡をかけた駆け引きが繰り広げられます。そんな地方領主の数だけ遺構が残る佐賀。それはそれで凄いのですが、それだけじゃつまらない。
佐賀は吉野ケ里遺跡など歴史遺構が数多く残る地として有名ですが、それらはただあるだけでは面白さが伝わらないんです。やはり歴史にまつわるエピソードやストーリーがあって、遺構が歴史の連続性をもって繋がってこそ面白さが伝わるというもの。
そこで登場するのが佐賀の戦国時代を代表する武将「龍造寺隆信」なのです。
上の写真を見ていただいて分かる通り、佐賀には数多くの武将が割拠していました。佐賀全土を統一することになる龍造寺氏ですが、戦国時代初期の頃は現在の佐賀市中心部周辺を治める地方領主の一人。周辺の領主との確執から罠にはめられ滅亡の危機を迎えたり、家督相続を巡って家臣と対立し国外へ逃亡したり、九州の大勢力大友氏に攻め込まれ絶体絶命の危機に陥ったりしながらも周辺の領主を切り従えて勢力を拡大します。
絶体絶命の危機を乗り越え成長し、九州を代表する大大名へと成りあがっていく少年ジャンプ的なサクセスストーリー。その主人公が「龍造寺隆信」。
歴史遺構はそれぞれが単体で存在するだけでは面白くありません「へ~っ」と思っておしまい。しかし佐賀の戦国遺構は一人の英雄に繋げていく事で、実在した一人の人物が辿った人生の物語として楽しむことが出来ます。最近よく言われるアニメや映画の聖地巡礼みたいな感じですかね、英雄的な活躍をした戦国武将の聖地巡礼です。
また、遺構が数多く残っているので龍造寺隆信が行った場所、同じ場所に立ち同じ目線で見るる事ができる。そうすることで歴史を過去に起こった事実として知るだけでなく、歴史上に存在した偉大な人物の人生を追体験しながら自分の目で見て感じることが出来ます。これが佐賀の凄い所。
龍造寺隆信は佐賀の地方領主から戦いを重ねて周辺の武将たちを切り従え、佐賀だけでなく福岡、長崎のほぼ全域、熊本の約半分を支配する大大名になりました。鎌倉時代からの守護大名が大きな力を持ち続けた九州において、自らの力で成り上がった希代の英雄。彼の足跡を辿れば佐賀に割拠した武将たちの生きざまが絡み合い、大きな一つの物語として繋がっていきます。
佐賀が一番躍動感に溢れていた戦国時代、そのど真ん中を駆け抜けた一人の武将。彼の生きざまを通じて繋がっていく戦国の武将たち。この壮大な物語を今に伝える数多くの遺構や所縁の地。まさに三拍子そろった戦国佐賀の魅力。
佐賀には何もないと言いますが、よ~く見てみると面白いものが各地に転がっています。「佐賀ポータル」は、そんな佐賀の面白さを知るきっかけになって欲しいという思いで運営されています。
実際に私自身が佐賀とは縁も所縁もなく、福岡市に住んでる余所者です。そんな私が佐賀に惹かれた理由がこのサイト描かれています。
地元の人による地元自慢じゃありません、余所者が佐賀に引き込まれていったリアルなお話。
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