近代日本の先駆けとして近代化に取り組んだ佐賀藩、洋式の反射炉を日本で初めて完成させ鋼鉄製の大砲の製造に成功しました。その日本最初の反射炉が作られた場所が「築地反射炉跡」です。反射炉といえば、鹿児島の仙巌園、山口の萩、静岡の韮山が有名ですが、実証反射炉として実用化されたのは佐賀が最初でした。
佐賀城北御門前(県庁前)を走る国道207号線の北側に並行している旧長崎街道を、佐賀城から西方向に歩いて行くと築地反射炉跡の標識がある。
築地反射炉の南側を走る、旧長崎街道。
仙巌園や萩、反射炉がそのまま残る韮山と違い、佐嘉築地反射炉跡の遺構は既に失われています。小学校の敷地内にあると推測されていますが、正確な位置は現在も不明のままです。
この近くに日本初の実証反射炉が建てられたことを記念して、小学校の敷地内にモニュメントが建立されています。
モニュメントの脇に建てられた、築地反射炉の説明書き。
反射炉を模した記念碑の向かって左側には、反射炉の画が彫刻された石碑が建っています。しかし、コチラに記された絵も昭和に入ってから書かれたものです。
佐賀藩は全国で初めて鋼鉄製大砲の製造、実用化に成功し幕府からも大砲の注文を受けるなどいち早く近代兵器を取り入れました。ここで製造されたカノン砲は、東京の品川砲台に配備されたそうです。この他にも、佐賀藩は急増する大砲の需要に対応するため、田布施にも反射炉を建設しました。次回は多布施反射炉跡を紹介したいと思います。
築地反射炉跡記念碑
MAP:佐賀市長瀬町9-15(佐賀市立日新小学校校庭内)Googleマップへ
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