肥前龍造寺氏、その名の由来となったお寺が龍造寺。佐賀市内に現存しています。
龍造寺隆信で有名な龍造寺氏、その出自に関しては諸説あり藤原秀郷の後裔とするもの、藤原姓高木氏とするもの、藤原兼隆の後裔とするものなど。いずれにしても、藤原姓で間違いないようです。
藤原氏とは歴史の教科書にも出てくる「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)」を祖とする一族。
日本の名門氏族の姓として源氏、平氏、橘氏と合わせて「源平藤橘」という四姓の筆頭名門氏族。646年、大化の改新の功によって天智天皇から「藤原」の姓を賜ったのが始まり。日本全国に支族を持ち、1200年以上もの間、国内に力を持ち続けた一族です。そのため、九州でも有力豪族や守護大名に藤原氏族が多く、大友氏、少弐氏、立花氏、筑紫氏、有馬氏、菊池氏などなど、九州の戦国時代なんて同族同士で争っていたようなもの。
龍造寺氏はその中でも藤原姓高木氏から出たという説が有力で、武家家伝というサイトによると
この名かで最も可能性の高いのは高木氏から出たとするものである。すなわち、大宰大弐を勤めた高木季貞の子季平が竜造寺氏の祖になったというもの。一説に、高木季綱の次男季家が文治二年、肥前国小津郡東郷内龍造寺の地頭職に補任され、龍造寺の地名を名乗るようになったものともいう。
とあります。
文治二年といえば、1186年。源頼朝が平家を倒し、鎌倉を中心に武家政治の準備をしていた時代。朝廷が源義経と奥州藤原氏を利用して、鎌倉勢力と力のバランスをとろうとしていました。源義経が討たれたのが1189年、同年に奥州藤原氏も滅ぼされ1192年に鎌倉幕府が開かれます。
龍造寺はそれより前にあったお寺、さがの歴史・文化お宝帳によると711年の建立と書かれています。
もとは龍造寺村、龍造寺氏の居城であった村中城内にあり、慶長年間に現在の位置に移されました。慶長年間は豊臣秀頼の元服から、大阪夏の陣、豊臣氏の滅亡までの期間。村中城を改修、拡張した佐賀城の工事が慶長7年(1602年)から慶長16年(1611年)に行われているので、ちょうどその工事の中で現在地に移されたのでしょう。
佐賀市白山一丁目にある龍造寺。高寺と書かれているのは、龍造寺の通称。龍造寺村の高台にあり、遠く有明海からも望まれるほどだったので高寺と呼ばれていました。正しくは「瑞石山龍造寺」。
周りには昭和の面影を残すお店があります。
寺への入り口がある場所は、ちょうど白山名店街から西へ、中央大通りを渡って続く長崎街道沿い。東を見ると、通りの先にアーケードが見えます。
西を見ると龍造寺八幡宮。龍造寺と同じころに、村中城内から移されてきました。
中へ入っていくと、ほとんどが駐車場になっています。
入ってすぐの所に恵比寿像がありました。
入り口が開いているのは、午前7時から午後8時まで。
入ってすぐ右手、古い墓と祠でしょうか。
こちらは寺務所でしょうか、駐車場の管理室があります。
その奥に大きなお屋敷。
寺内に鐘楼が見当たりません、半鐘が架かっています。
そして、入り口から右奥のほう。本堂がありました。
本堂の横から。正方形で屋根が反ってます。柱の下に丸っこい石が付いてますし、調べてみると禅宗様建築の特徴があるような。素人なのでハッキリ言えませんが・・・
瓦には太陽の紋、龍造寺氏の十二日足紋が刻まれています。このお寺が、龍造寺氏所縁の寺だと分かりますね。高い建物が無く、見渡す限りの平野。空が広く見える佐賀には、やっぱり日足紋が良く似合う。
扉が少し開いていたので、中を覗いてみました。十二日足紋の陣太鼓でがあります。
本堂の正面も、少し扉が開いていたので仏さまにお参り。そういえば、このお寺の天井に掛かれた龍が外に出たという言い伝えがあるんでしたよね。天井絵を見忘れてしまいました。
龍造寺一族の人たちもこの仏さまを見ていたんでしょうか。同じものを見ていたとしたら・・・考えただけでもワクワクしてきます。
本堂正面に建てられた、龍造寺の案内板。
おやっ、ここに山門があります。こっちが入り口なのかと思ったら、ブロック塀で通れなくなっていました。
本堂の横に並ぶ観音様。
よく見ると、個性的な仏様もいます。こちらは馬頭観音の像。
更に奥にも観音様。
足元には十二日足紋の瓦が埋まってました。
佐賀鍋島藩、そして現在の佐賀県を作ったと言ってもいい「龍造寺隆信」という武将。その一族発祥の寺が、佐賀の街中にひっそりと佇んでいました。
佐賀にはこういった歴史スポットが数えきれないほどあるんです。見に行きたい場所が次々と増えていって、気が遠くなりそう。その割にはあまり知られていないというか、興味を持って調べないと見つからない。龍造寺隆信を中心にした戦国ストーリーは、他の地域より遥かに面白いんですけどねぇ。
なんでもっと外に向かって情報を発信しないんでしょう、不思議でなりません。戦国時代というのは、歴史ファンの中で最もメジャーな時代。龍造寺隆信ほどドラマチックな活躍をした人って、全国を見渡してもなかなか居るもんじゃありません。しかも、その足跡や所縁の地が、関係した人々のストーリーや遺構と共に佐賀各地に沢山残ってるんです。
こういう場所にもう少しスポットが当たって欲しいですね。
「瑞石山龍造寺」
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