吉野ヶ里遺跡とは紀元前4世紀頃、今から約2400年ほど前の弥生時代に築かれた環濠(空堀)によって囲まれた都市の遺跡です。弥生人が集まって住居を構えるムラができ、それらをまとめて統治するクニが成立したと考えられていて、吉野ヶ里は周辺にあるムラを束ねるクニの中心地として環濠(空堀)と土塁、逆茂木や木柵、櫓によって堅固に守られた要塞都市でした。
吉野ヶ里歴史公園として整備されている場所には最盛期には1200人ほどが暮らしていたと推測され、港や市といった設備も備えた都市で、東北や畿内、中国大陸との交易も行われていました。
そんな弥生時代の巨大都市を、調査の結果を元に出来る限り当時の状況に沿って復元した吉野ヶ里歴史公園。いまある98の建物や環濠、逆茂木などは発掘された跡とほぼ同じ場所に再現されているそうです。
弥生時代の人々が住んだ大地の上に再現された実物大のジオラマを、写真を出来るだけ多く使って紹介していきます。
吉野ヶ里歴史公園東口 遺跡ゾーンへの正面玄関
吉野ヶ里歴史公園には西口と東口があり、西口は広場や遊具などが設置された公園地区に近い入口。東口は遺跡ゾーンへの入口となっていて、園内の循環バスが発着しています。
また、東口は歴史センターとして売店など、様々な設備があります。
売店奥にはレストランがあります。(写真は2015年7月撮影)
九州の古代遺跡の特徴として、死者を甕を合わせたような「甕棺」に入れて埋葬する風習があります。その甕棺のミニチュア模型が売られていました。完成品と、自分で組み立てるものがあるようですね。
視聴覚室のような部屋では、吉野ヶ里遺跡をCG等を用いて説明するムービーが流れていました。これで事前に予習していくと、遺跡探索を何倍も楽しめるのでおススメです。事前に概要を把握していると、妄想がはかどりますからね。
ムービーだけでなく、実際の発掘写真や出土品の写真パネルを使って遺跡の説明がなされている資料館もありました。
アーチ状の巨大な建物の一角に券売機が設置されていて、入場券を購入します。
吉野ヶ里歴史公園入口ゲート、ここから橋を渡っていよいよ吉野ヶ里遺跡に入っていきます。
環濠集落への入口、いよいよここから遺跡内部へ入っていきます。
吉野ヶ里遺跡 南内郭
ゲートから中に入り順路に沿って行くと、すぐ目の前にあるのが「南内郭」という場所です。この場所は、この環濠都市の支配者が居住していた地区とされています。周囲には内堀のように環濠が巡らされ、四方に物見やぐらが設置され厳重にまもられています。
環濠都市や環濠集落といわれる古代都市の語源になった「環濠」です。水を入れない空堀で、発掘調査の結果を元に当時と同じ場所に同じ深さ、幅で再現されています。
王の家と書かれている、支配者の家。家族はそれぞれに家を持っていたようで、王妃の家や子供の家などがそれぞれ建っています。
再現されている家の殆どは、内部を見る事が出来ます。王の家内部には、人形などが展示され当時の様子をイメージし易くなっています。
王の家で再現されていた、王の寝所。王といえども、意外と質素ですね。
物見やぐらに上って、南内郭を撮影してみました。従者の家など、複数の建物があります。
南内郭の物見やぐらから、西側に隣接する倉庫群を撮影。環濠と土塁、木柵によって隔てられ、南内郭はとても堅固に守られていたことがわかります。
南内郭の入口近くには、発掘された出土品などを展示した展示室があります。
吉野ヶ里遺跡 北内郭
北内郭は二重の環濠と土塁、木柵に囲まれ城郭のような造りになっています。ここでは政務や祭祀が行われており、クニの運営の中枢であったとされています。写真は北内閣の入口。
北内郭の内堀になっている環濠と物見やぐら。
北内郭には、遺跡内で最も大きな建物があり内部を見学する事が出来ます。
階段を上がると、最初の部屋は政務をとり行う部屋であったようです。周辺の村の有力者を招いて、様々な事が決められていました。
最上階には窓が無く、祭祀が執り行われていた部屋があります。
この遺跡内の住居はほとんどが竪穴式住居ですが、ここには高床式住居があり司祭が住んでいたと推測されています。
高床式住居の内部も再現されていて、当時の住居の様子が良く伝わってきます。
北内郭の物見やぐらから撮影してみました。ここには9棟の建物が復元されています。
北内郭を出て更に北へ、王族の墓とされている北墳丘墓へ向かいます。発掘時の状態そのままに保管された、2000年以上前の遺構がそのまま保存、公開されている場所で見どころ満載です。
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