大隈重信という人物をご存じでしょうか、名前は聞いたことがあるけど明治期の政治家?という認識の方がほとんどじゃないでしょうか。かなり有名な偉人なので、日本の近代史に興味がある人や早稲田大学に関係のある方は知っていて当然の人物ですが、明治期に外務大臣や内大臣、内閣総理大臣などを務め早稲田大学を創設した人物です。その大隈重信侯の生家が、佐賀市内に当時のまま保存されているので紹介します。
佐賀市内の中心部にある何の変哲もない閑静な住宅地に、突然現れる大きな門。ここは明治時代に近代日本の基礎を築いた偉大な政治家、大隈重信侯の生家が保存されている「大隈記念館」です。政治家としてだけでなく、早稲田大学の創設者で初代総長としても知られている人物で、お金を表す指のサインを考えた人でもあります。
入場料と開館時間は上の写真の通り、入館が4時半までなので行くなら早めが良いかもしれません。
門をくぐると広い空間があり、左手に資料館、正面に生家があります。
資料館には主に大隈侯の遺品や江戸時代の生家周辺地域のジオラマ、様々な功績を紹介する資料などが展示されています。
銅像でも有名な大隈侯のアカデミックドレスなど、早稲田関連の資料も専門のブースがあり多数展示されています。
大隈重信侯の生家。この周辺は閑静な住宅街になっていますが、この家で大隈重信侯が生まれた当時は武家屋敷街でした。葦ぶき平屋と瓦屋根の二階建て家屋からなり、江戸末期の武家屋敷の構造を知る貴重な資料として国の史跡に指定されています。大隈家は佐賀藩知行300石を食み石火矢頭人(砲術長) を務める上士の家柄でした。ちなみに、大隈家の砲術流派は荻野流砲術。
家に上がる事は出来ませんが、自由に外から見学できるように解放されています。
古い家なのですが、今見ても新鮮で癒される空間。江戸時代の上士というのはそれなりの身分だったのですね、外から見た以上に中は広々としています。しかし、後の大臣、名門大学の創設者の家としては質素で、質実剛健という言葉がピタリと当てはまりそうな家です。
大隈重信侯という人物に興味が無くても、ここに残っている生家はとても綺麗な状態で保存されていて見応え十分。中に入れなかったので見る事が出来ませんでしたが、この家の2階にある6畳間が勉強部屋となっていたそうです。近隣には佐賀市歴史民俗館があり、併せて立ち寄りたい場所ですね。
大隈記念館
参考:大隈記念館公式サイト
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