佐賀市富士町の奥深く、田舎の山里にある国指定文化財「吉村家住宅」へ行ってきました。
佐賀北部の山里に国指定の文化財「吉村家住宅」があると聞いて見に行ってきたのですが、近くにある神社にまたしても「龍造寺隆信」の名前。さらに隆信のライバル、佐賀北部の山岳地帯を支配した山内二十六ヶ山の惣領「神代勝利」の守り神だというじゃないですか。
現地に着くまで全く知らずに行ったのですが、またもや思わぬドラマとの出会いにビックリ。佐賀を旅していると、こんなことがよくあるんです。それもこれも佐賀が持つ戦国時代の歴史が、あまりにもドラマチックで魅力的だからこそ。そして田舎だから所縁の地が残っているんですよね、これこそ佐賀の魅力。ほんと奥が深い。
今回のお目当て吉村家住宅。場所は佐賀市北部、富士町の山中にある小さな集落。
山深い場所ですがバス停があり、バスの転回場も兼ねているような吉村家住宅見学用の駐車場があります。
バスの時刻表があったので見てみましょう。こんな山深い場所にあるバス停事情、気になりますよね。
え~っと…観光用に使うにはちょっと厳しいかな。やっぱ自動車で来るのがおススメ。
駐車場には吉村家住宅までの案内板があります。
案内通りに集落の中に入っていくんですけど、ここの景色が素晴らしいんですよ。ほんと絵にかいたような山里集落、日本昔話の世界観。
川の水を見てくださいよ、透き通る透明な清流。ほんと綺麗な水で心が洗われるような癒しの風景です。
吉村家住宅へ向かって歩いて行く途中に、山の中にひっそりと建つ神社。雰囲気いいですよね、こういう山里に建つ神社って周りの木々と合わさってとても神秘的。神様がふと出てきそうな雰囲気。集落の鎮守さまなら、日本人として挨拶せねばなりません。
二の鳥居に大きな注連縄でしょうか、垂れ下がっています。こういう掛け方は始めて見ました。
拝殿にも低く垂れさがるように注連縄があります。この地域の風習でしょうか、それとも佐賀ではよくあるんでしょうかね。
神社へに参拝すると拝殿内に「淀姫神社」の文字。ここ淀姫神社なのですか!淀姫神社といえば佐賀市大和町、川上峡にある有名な神社。佐賀一宮です。思わぬ神様と出会いました。
拝殿の少し開いた扉から見ると、奥の幣殿、本殿に光が差していてとても神秘的でした。
正面から見たときは小さな神社と思いましたが、本殿は大きくて立派です。
本殿の横には巨大な木があり
その根元にはなんともかわいいナマズの像。その奥にも神様が祀られています。
一説にナマズは淀姫の使いと言われているそうです。その昔、川上川に「かなわ」というマムシが年を経て変化したという怪物がいたそうです。官人橋を渡ると襲われて死んでしまうと地域の住民が恐れる怪物だったそうですが、大きなナマズが食べてしまったのだとか。
ナマズに命を救われた住人が、決してなまずを捕らない、なまずは食わないと淀姫神社に固い誓いを立てたというお話が伝わっています。
詳しくは佐賀の歴史・文化お宝帳を参照⇒http://www.saga-otakara.jp/search/detail.php?id=2329
愛嬌のある顔、とてもかわいいナマズですね。
参拝を終えて戻ろうと拝殿から鳥居の方向を見ると、巨大な木があります。佐賀って大きな木が多いですよね、武雄に行くと樹齢3000年の木がありますし。
鳥居の横には神社の説明が書かれていました。
何気なく読んでみると、この神社の凄さにビックリしました。この神社にあの神代勝利父子が逃れてきて、追撃する龍造寺隆信の軍勢が火を放った現場だというじゃないですか。
佐賀城周辺を治める小領主から佐賀や福岡、長崎、熊本の一部まで支配した人ですから、各地にその足跡があるんですよね。まさに佐賀の英雄。
さらに神代勝利。この人もマニアの間では人気の高い戦国武将で「北辰の龍」なんて言われたりしている人です。胸に七つの傷を持つ男じゃないですからね、北辰は北斗七星の事ですが世紀末の救世主ではありません。
神代勝利は久留米にある高良大社の大宮司を務めた家柄の出。一族の没落と共に肥前へ、幼い頃は小城市周辺を治めた千葉氏の庇護をうけます。成長するとその武勇と家柄から佐賀市北部の背振山地、山内地方(小城北部から佐賀市北部、神埼市北部の一部)を支配する豪族二十六家の惣領として山内地方に君臨します。
肥前守護少弐氏の臣下として龍造寺氏と対立、少弐氏滅亡後も龍造寺隆信のライバルとして熾烈な戦いを繰り広げ散々に隆信を苦しめました。肥前の熊vs北辰の龍、二つ名同士で並べると凄い絵になりそうだ。
川上峡の淀姫神社は、そんな勝利と隆信の決戦「川上峡の戦い」の舞台。そして富士町の淀姫神社は隆信に追われた勝利父子を守った守護神。神代勝利は淀姫神社にとても関係の深い武将だったのですね。
まさにこの場所で、ドラマが繰り広げられたんです。またもや妄想モード。う~ん歴史のエピソードを知り同じ場所に立って当時の様子を妄想する。楽しいですね。
偶然見つけた神社で感動しながらも、本来の目的地を忘れたわけじゃありませんよ。そう「吉村家住宅」を見に行くんです、国指定重要文化財の民家ですからね。しかも現役で使われているという。
神社を出てさらに集落を奥へと進みます。この風景も凄いでしょ、日本の原風景。
ひょっとしたら、この辺りの家も龍造寺軍に家捜しされたりしたんですかね。
淀姫神社から少し歩くと吉村家住宅の看板があるので、矢印の方向を見てみると…ありました!
見事な古民家、江戸時代そのままの山里の農家宅。
すぐ隣に建つ見事な蔵。
この納屋も凄いですね、年季の入り方が違う。梁に使われてる木材が凄いですよ、太くて丈夫そう。ドシっと重厚な造りです。
この吉村家住宅は個人所有の住居で、ここも民家の敷地内。現役で使われているので、観光地感覚ではしゃいじゃダメですからね。
そして重要文化財の吉村家住宅。
本物が持つ圧倒的な存在感、ビシビシきます。リアルな歴史の重みを感じる建物。残すのも大変だったと思うのですが、こうやって今に伝えてくれたことに感謝ですね。
おかげで今、私がこの場所で見る事が出来る。
見事な縁側。ここで二百年以上、人の営みを見守って来たんですね。
吉村家住宅の説明が書かれています。
建てられたのは1789年、佐賀県内で年代が定かになっている中では最古の民家。佐賀県北部の集落に多い直家(すごや)形式の古民家。
直家とは長方形の建物で、どこにも突出部をもたない家。佐賀県北部だけでなく、全国で見られる平面家屋の一般的なスタイル。なんかこの説明書きを見ると、佐賀独特みたいな印象を受けますね。
見学に対してのお願いという注意書きがあります。
重要な事は個人所有の住宅で、現在も使用中という事。プライバシー保護のために土間から見学してくださいと書いてあります。あとは禁煙や飲食禁止だとか、建物を大切にしてマナーを守って見学しましょう的な感じ。
それでは重厚な扉から中へと入ってみます。
中に入ると土間ですね、かまどもあります。
そして座敷、上にあがる階段もあります。この上は部屋ではなく、物置のようなスペースだと思われます。奥が仕切られているのは、所有者のプライベートスペースだからでしょう。ここから上がって中へ入る事は控えるようにお願いがありましたね。
階段の上のスペース。立派な梁が縦横にガッシリ組まれています。
囲炉裏がありました。
座敷と反対側の壁、複雑に木が組み合わされています。
立派な古民家ですね。観光サイトなどでは紹介されているのですが、普段の地域広報では殆ど目にすることがない観光スポットです。そして今回もまた偶然から生まれた発見と感動がありましたね。国の重要文化財になっているという古民家を見に来たら、そこには戦国時代のエピソードとその舞台となった神社がありました。
佐賀はいつもこんな感じで、至る所に面白い場所や物語が無造作に転がっているんです。これは褒められたことじゃないですけどね。
ということで、佐賀をずっと旅していますが未だに知らない事、行けていない場所が数えきれないくらいある。次はどこへ行こうか、佐賀の戦国時代を追いかけていくと楽しみが付きませんねぇ。
佐賀がもう少し戦国時代の事についての広報を強化してくれたら、佐賀の戦国巡り、龍造寺隆信の足跡を辿る旅も楽になるのですが…今は個人が運営するサイトやブログが頼りですからね。まあ、佐賀ポータルでいろんなサイトに散ってる戦国佐賀の情報を現地情報と一緒に集めればいいのか。
ある程度集まったら佐賀ポータルのようなブログではなく、ちゃんとした情報サイトとして独立させましょうかね。
やることが増えるなぁ、とりあえず頑張らねば。
「淀姫神社」
「吉村家住宅」
MAP:佐賀市富士町上無津呂2856⇒ Googleマップへ
※この記事は私が訪れたときのものです、現状が変わっていることがありますので事前に確認することをおすすめします。
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