幕末期の佐賀藩といえば、国内最強ともいえる強力な海軍を擁し、独自に開発した反射炉を使い鋼鉄製の大砲を製造するなど、長州や薩摩を凌駕する軍備を誇った藩です。佐賀藩には2か所の反射炉があり、鋼鉄製の大砲を製造していました。多布施反射炉は、大砲を量産するために築地反射炉に続き建設された反射炉です。
佐賀藩は1950年に築地反射炉を建設し、鋼鉄製大砲の製造に成功していました。1953年6月にアメリカ艦隊が浦賀沖に現れ通称を迫った際、日本の防衛に危機感を募らせた幕府は同年9月に鉄製36ポンドカノン(大砲)25門、24ポンドカノン(大砲)25門を注文しました。
佐賀藩は築地の兵器工場だけでは間に合わず、多布施に新しく反射炉と兵器工場を建設し対応します。その場所が、佐賀市多布施三丁目にあるこの場所です。
多布施反射炉を擁した兵器工場、主に幕府へ収める東京の品川台場に設置する大砲を製造しました。
多布施反射炉の由緒書き、多布施川から水車で水をひき水力を利用して大砲を製造したそうです。
こちらも築地反射炉と同じく、遺構は確認できません。平成22年の発掘調査では、株式会社ミゾタ北側の地域で反射炉基礎の一部などが確認されたそうです。
多布施反射炉跡
MAP: 佐賀県佐賀市伊勢町15−1付近Googleマップへ
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