勢福寺城の山城部「城山」を登る
勢福寺城は龍造寺隆信が肥前支配を進めるうえで最大の障害となった城で、戦国時代には少弐氏対龍造寺の戦いの舞台となりました。少なくとも三度龍造隆信に攻められ、1558年には激戦の末講和に持ち込み、翌1559年に再度侵攻を受け城主である少弐冬尚を自刃に追い込み少弐氏は滅亡しました。鎌倉以来の名門、少弐氏終焉の地がまさにここ。当然ながらこの山城も激戦の舞台となったのでしょう。
現在、勢福寺城の山城へは登山道が整備されていて、迷わず主郭まで行くことが出来ます。登山道の入り口は種福寺の裏手にあります。
この種福寺には少弐家最後の当主「少弐冬尚」と、その父「少弐資元」の二代に渡って少弐家を支えた「江上武種」の墓があります。江上武種は徹底して龍造寺隆信と対立し、少弐方の重臣として三瀬の神代勝利などと共に激戦を繰り広げます。
少弐氏滅亡後は龍造寺隆信に降りますが、大友宗麟による肥前侵攻の際には大友方につき現在の佐賀城の前身となる「村中城」攻めに参加。しかし、今山の戦いで大友軍が龍造寺軍に敗北、侵攻作戦がとん挫すると鍋島直茂率いる龍造寺軍に勢福寺城を攻められます。一度は攻勢を退けるものの、龍造寺隆信の圧力に屈し隆信の子の家種を養子に迎えて和睦。その後は龍造寺旗下で活躍。龍造寺隆信が島津軍との戦いで討ち死にすると、執権として体制の立て直しにつとめた鍋島直茂に従い、豊臣秀吉による九州征伐では対島津戦で活躍。最後は秀吉の朝鮮出兵で半島へ渡り、釜山で病死したそうです。なんとも・・・凄まじい人生ですよね、まさに戦国の戦人(いくさびと)。
種福寺はそんな戦国の猛将が眠る静かなお寺、登山道は寺の裏手にありました。
登山道入り口に設置された看板。山城の主要部は標高196.1mの山頂に長さ900m、横幅10~30mで築かれていました。縄張図を見る限り山の尾根などにも郭跡があるので、主郭を中心とした場所だけでなく山の南側全面が城だったようです。
赤い破線が登山ルート。入り口から入って、出丸のような尾根の遺構を通過し主郭へと続くルート。尾根の中には、各所に竪堀や堀切があります。
それではさっそく登ってきます。斜面がきつい箇所には、このような階段が設置されているので登り易い。とっても助かります。
順路を示す赤い布、道に迷いかけたらこの赤い目印を探しましょう。
かなりの急斜面。
竪堀を横に見ながら登っていくと、平らに削平された郭のような場所にでました。
段々に配置された平地と、それを取り巻くように帯曲輪のような場所がありました。
さきほどの郭から主郭部へと続く通路。非常に狭くなっている上に、蛇行しているので上から弓矢で狙い撃ちされそうです。
さらに進むと古墳にしては小さい、石室を備えた小山がありました。何かの保管庫だったのでしょうか、現代の軍基地内にある弾薬庫の小型版みたいな感じです。
さらに進んでいくと堀切がありました。これは出丸のようになっていた削平地から、主郭部へと続く通路を寸断するためのものですね。
最初の堀切を越えて続く通路、更に大きな堀切がありました。これはスゴイ、見事に通路が寸断されています。狭い通路を進んでくるとこの堀切。縦列で侵攻してくるといきなり道がなくなって、立ち止まると後ろから押されて落ちますね。ここで停滞すれば高所から狙い撃ちですよ。えぐいな~。
堀切を越えるとここから急斜面。上が少し開けていることから、堀切を狙える位置に射手がいたんじゃないでしょうか。またこの辺りは巨大な天然石がゴロゴロしていて、行く手を遮ります。
伐採された木が斜面を覆っていて、地面の様子が分かりにくいですがここに竪堀があるんじゃないでしょうか。
ようやく山頂部の郭にやってきました。ここは虎口跡。
現在地を表す縄張図が設置されていて、とても分かり易い。こういう細かい心配りが、とてもありがたい。
山頂の主郭部、一番南側の郭です。これは広いなぁ。
ベンチが設置してありますね。ここの眺め、凄いんですよほら。籠城時には、ここから敵の動きを観察していたのでしょう。佐賀は平野ですから、侵攻してくる龍造寺軍や敵本陣まで丸見えだったはずです。籠城する兵士はどんな思いで眺めていたんでしょうね。
更に奥へ進んでいくと、竪堀があって次の郭。足元に石が転がっていますね。大きさといい、形といい、投石用の石だったんじゃないでしょうか。両手で下に向かって投げるのに丁度よさそう、大きさ的に殺傷力もありそうですし。登ってくる敵に対してこの石を投げる。実際、戦国時代の戦闘では投石の犠牲者って多かったそうです。それとも、石積みがあったんでしょうか。
南面には土塁の後も残っています。
おぉっ!ここには井戸がありますよ、岩をくりぬいたような井戸。地下水をくみ上げるというより、雨水を貯めていたように見えます。しかし、一人で来てるから落ちたらシャレになりませんね。回りにはロープが張られているので、近寄らないほうがよさそうです。
ここから次の郭へは大きな段差があり、狭い土橋のような登り通路があります。
登ってみると、ここも広い空間。
大きな土塁跡。
下を見ると帯曲輪のような段があります。
更に奥へと行くと・・・これは凄い。思わず見惚れてしまうような大堀切。ここから左右へ大きな竪堀があります。
下座位置表示がありました。ほんと助かります。
大堀切を渡った先の郭。
この先にまた大きな堀切。先の通路が途切れてますね。
こっちは大きな岩でゴツゴツして、足場の悪い堀切。
さて、この岩場を抜けていけばいよいよ本丸ともいうべき主郭へと向かっていきます。しかし・・・紙面の都合で・・・ここから先は課金制になります!
というのは冗談です、ハイ。
一ページに画像を入れすぎると読み込みが遅くなるので、ここでページを区切らせていただきます。
次回、非正規オヤジ主郭に立つ!
乞うご期待
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