覚悟を決めれば何事も恐れる事はないのです。
「葉隠れ発祥の地」は佐賀市中心部から北の山間部、金立町にありました。
「葉隠」といえば「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な、江戸時代中期ごろに記された武士の心得書として全国的に有名です。「葉隠」は佐賀藩2代藩主の小姓も務めた佐賀藩士「山本常朝」が武士の心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた書物。全11巻からなり、当初は主流の武士道とはかけ離れた教えとして禁書扱いされていました。その後、佐賀藩内で教育の柱として扱われるようになったそうです。
葉隠の祖「山本常朝」の墓所は、佐賀市八戸1丁目の八戸城跡「龍雲寺」にあります。
葉隠れ発祥の地は、佐賀市金立町、金立公園そば、長崎自動車道金立SAのすぐ近くにあります。目印は佐賀方面から向かって長崎自動車道の下をくぐってスグに見える看板。
看板の向かいに駐車場があり、その脇の道を真っ直ぐ西へ向かいます。
いやね、駐車場に車を停めたはいいんですが、ここからどう行けばいいのか分からなかったんですよ。で、ひょっとして脇道を真っ直ぐ行けばいいのかな?なんて思いながら進んでいくと、トイレが見えてきました。
そういえば、今日は朝起きて死んでないですね。葉隠の教えの通り、一度死んでおけばこんな事で迷う必要はなかったんですよね。迷わず行けよ、行けばわかるさ!
ほどなくして入口が見えてきました。いや~、無駄足に成らずに済みました…って、朝起きて死んでおかないと余計な事を考えてしまうんです。
入口から続く階段を登っていきます。
ありました!葉隠れ発祥地の石碑です。
現地の看板によると、ここは朝陽軒という庵が建っていたそうです。
葉隠の石碑の裏には、さらに奥へと続く道が続いています。これは行かねばなりませんね。
途中には広範囲に古い石垣が残っていて、この地にかなり大きな施設が存在していたことを伺わせます。
しばらく行くと道が二股に別れています。
案内板には古墳群の説明が。
右の道を進むと、乱斗山古墳群があります。乱斗山とは、鍋島家に当主が変わる際に龍造寺派と鍋島派による武力衝突があったために「乱斗(乱闘)山」と名付けられたと伝わっています。
詳しい事は記録に残っていないようですが、勝者が自分の都合の良いように歴史の暗部をなかったことにするなんて当たり前の事ですから、詳細が残っていない事が乱闘があった事を示しているように思えますね。
道を戻って、左側を進んでいくとベンチが置かれた広場に出てきました。
更に奥には、またもや「葉隠発祥の地」と記された看板が立っています。
ここは2代藩主鍋島光茂公の奥さんが、追善の為に大乗抄典(大乗仏教の経典)を一千部読んだ場所だそうです。
看板の横には石碑が建てられています。
葉隠といえば「武士とは主君への忠義の為に死ね」というような教えと捉えられている事が多いのですが、少し違う気がするんですよ。子供の頃に隆慶一郎の「死ぬことと見つけたり」という本を読んだことがあるのですが、おぼろげに覚えている内容から印象に残っているのは、毎朝目が覚めるとあらゆる死のシチュエーションをイメージし、死ぬ事のイメージトレーニングをする事で自分は死人だと自己暗示をかけていた主人公です。死人になることにより、未練を棄て、煩悩も捨て、恐れも捨て、いかなる状況においても冷静に最善の決断と行動をとる。武士道とは覚悟を決め些事に囚われず常に正しく生きる事、そのための心のもち方を説いたものではないのでしょうか。
どうせ人間死ぬんだし、毎日が死へのカウントダウン。死んでしまえば、生前に何があろうとすべてが無に帰するわけです。そう考えると、何も怖い物なんてなくなります。と、思うことが「葉隠」の教えなのではないでしょうか。
せめて死に際して未練を残したり、後悔だけはしたくないですよね。夢かなわなくとも、今わの際で楽しかったと思って死にたいものです。
「葉隠発祥の地」
MAP:佐賀市金立町黒土原 Googleマップへ
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