吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓
政務や祭祀が行われていた都市の中で最も重要な区画「北内郭」の更に北、古墳のように土が盛り上がった場所があります。北墳丘墓と言われるこの場所は、王族など支配者層の墓地だとされています。正面から見るとただ土を持っただけの場所ですが、裏に回ると超近代的な設備を持つ展示スペースになっています。
内部には発掘された状態の墳丘墓が公開されていて、2000年以上前の墓地をそのまま見る事が出来ます。ここにある甕棺などは、全て実物。とんでも無く長い時間眠り続けていた墓が、いま目の前に広がります。
この墳丘墓からは14基の甕棺が出土していて、青銅の剣やガラス製品が副葬品として見つかっているそうです。もう感激ですよね、2000年という想像もつかないほど昔の人たちが、同じ場所に立って実際に触れていたものが目の前にあるんです。いろんな妄想が膨らんできます。
展示物には、実際に甕棺に埋葬されている様子を再現した模型もあります。
当時の埋葬風景を再現した模型。
この場所は聖なる場所として、祭祀も行われていたようです。
吉野ヶ里遺跡では様々な場所から墓地が見つかっていますが、北墳丘墓は副葬品の有無や埋葬方法の違いから支配的な立場の人たちの墓と推測されています。
ここの穴も2000年前に掘られてもので、写っている甕棺は実物です。通路が設けられているので、近くで観察する事ができます。
2000年以上も前の墓を実際に見る事が出来る展示室、歴史を積み重ねた実物だけにスゴイ迫力でした。
吉野ヶ里遺跡 クニの倉と市
支配者層が居住していた南内郭の西側に隣接して、食料などを備蓄していたとみられる倉庫群と各地と交易を行っていた市があります。当時はこの場所に川が流れており、港が設けられていたそうです。海岸線も現在よりずっと内陸にあっそうで、海を渡ってきた品物は川を使ってここまで運ばれていたそうです。
市の中には、警備する兵士の詰所と考えられる建物もあります。
周りの広場に多くの市が出ていたと考えられていて、当時は貨幣制度も無く物々交換が取引の方法でした。それらの品物を補完するための倉庫が、数多く建てられています。
中心部には、市を管理する市楼もあったようです。
市の東側には、クニの物資を集積していたと思われる倉庫群があります。市と倉庫群との間には環濠と木柵が設けられ、櫓門も設置され倉庫を厳重に警備していました。
整然と並ぶ倉庫群。
しかし、よくもこれほどの遺跡を復元しましたよね。この倉と市のゾーンでは、31棟の建物が復元されています。
吉野ヶ里遺跡 南のムラ
南のムラには「下戸」と呼ばれる庶民層が生活していました。ここでは土器や青銅器なども作られていた跡も見つかっている事から、職人たちも生活をしていたようです。
ココにも竪穴式住居や、村の備蓄倉庫である高床式倉庫が復元され、内部を見学できます。
南のムラには「弥生くらし館」という建物があり、南のムラの紹介や勾玉作りなどを体験できる工房があります。この日はインターナショナルスクールの生徒たちでしょうか、何か制作の体験をしていたようです。
団体だけでなく、一般個人でも勾玉作りや土笛作りの体験工房を利用できます。
天気が悪くても安心、館内に広い体験スペースを備えています。
シアタールームでは、南のムラの説明を見る事が出来ます。
吉野ヶ里遺跡の全体模型も展示されているので、遺跡の全体像を把握できます。
以上、この南のムラで遺跡の主要な場所を全て紹介してきました。ここで紹介しきれていない場所も若干ありますが、大きく5つのゾーンに別れた遺跡を紹介しました。
実際に歩いて見学してみると2000年以上も前に大きな国があり、これほどの規模で城塞都市のような街が作られていたことに驚きます。現在復元されている木柵や環濠、建物などは全て発掘調査で見つかった遺構を元にして、当時の様子を再現しているというのも凄い事です。実際の遺跡は保護するために土を盛って埋めているため、現在の遺跡はそのうえに復元されたものだそうです。これほどの遺跡ですから、後の世代にも残していかなければなりませんね。
吉野ヶ里遺跡は過去の人々の生活を妄想しながら楽しむのには絶好のスポットで、当時の様子を実物大で復元した巨大ジオラマを見ながら脳内でタイムスリップするのは最高に楽しいです。まだ見たことが無い人が居たら、ぜひ一度この大スケールの古代都市のジオラマを楽しんでもらいたいですね。
次のページでは、復元された遺跡ゾーン以外の場所。公園として整備されている場所を紹介します。
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