「朝日山城址」新鳥栖駅前にある山は佐賀の乱の激戦地!戦場跡「政府軍vs佐賀反乱軍」

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中世の山城跡、明治時代の内乱「佐賀の乱」の戦場にもなりました。

「朝日山城址」新鳥栖駅の南側、旧長崎街道沿いの中世山城跡”朝日山城”を訪ねる。

1874年2月、佐賀の地で旧佐賀藩士による大規模な反乱がありました。この戦いは戊辰戦争後、明治政府によって編成された国民軍にとって初めての大規模な内戦でした。この後、萩の乱や薩摩の西郷隆盛による西南戦争まで、戊辰戦争で勝利した雄藩を中心に「不平士族」と呼ばれた旧藩士による反乱が相次ぐことになります。

今回紹介する鳥栖市朝日山は、佐賀城を占拠した反乱軍が鎮圧のため進軍する政府軍を迎え撃った最前線でした。

ということで、やってきたのは佐賀で唯一の新幹線駅「新鳥栖駅」です。

朝日山1

2011年に博多ー鹿児島間を走る新幹線となり、山陽新幹線への乗り入れにより新大阪から鹿児島までの直通運転を開始。佐賀の経済、観光の拠点として注目を集めています。

朝日山2

この新しい駅舎のスグ南側にある小高い山、現在は朝日山公園になっている場所が中世の山城跡「朝日山城址」です。この城は戦国時代、1532年に山口の大内氏によって、1586年には薩摩の島津氏の侵攻により落城するなど、交通の要衝として戦いの舞台となってきました。

新鳥栖駅から見た朝日山城址。

朝日山3

1874年2月1日、旧佐賀藩士による組織「憂国党」の党員が官金取扱業者を襲撃。同2月4日には政府から熊本鎮台に対して鎮圧命令が出されます。2月15日に熊本鎮台軍が佐賀城へ入城したことをきっかけに戦闘に突入。佐賀の乱が勃発しました。

反乱軍は佐賀城を占拠し、福岡方面への押さえとして佐賀三瀬峠に別動隊を配置。佐賀の乱を主導した「征韓党」は鳥栖市の朝日山に布陣し、長崎街道から進行する政府軍本体を迎撃。佐賀の乱の主力となったもう一方の「憂国党」は筑後川方面の防衛にあたり、熊本鎮台軍に備えていました。

新鳥栖駅から、写真右に朝日山、中央を流れるのが安良川。政府軍は左側から進軍し、この安良川を挟んで対峙しました。

朝日山4

新鳥栖駅の南には旧長崎街道が通っており、政府軍は街道を東から西へ進軍。写真は旧長崎街道、安良川にかかる橋から朝日山方向を撮影。この坂は安良(やすろ)坂、朝日山の戦闘で最大の激戦地となったそうです。

朝日山5

長崎街道の少し北に位置する鳥栖西中学校、少し高台のようになっています。この辺りに政府軍の本陣が置かれたそうです。

朝日山6

激戦地となった旧長崎街道から安良川、正面に新鳥栖駅、左に朝日山が見えます。

朝日山7

政府軍の陣地があったとされる、鳥栖西中学校の正門前から朝日山を撮影。当時の政府軍兵士も、この景色を見ていたんでしょう。

朝日山8

鳥栖西中学校から少し南方向、正面に見える倉庫のような建物の場所が旧長崎街道です。

朝日山9

朝日山周辺の上空写真と、各ポイントの位置関係(出典:国土地理院ウェブサイト

朝日山18

政府軍の進軍経路である長崎街道沿いに、安良川を渡って安良坂を登ってみましょう。

朝日山11

右手に少し高台のようになった場所があり、お堂が建っています。この坂を防衛するなら、この場所にも兵を配置したのではないでしょうか。高地を取るのは、防衛側の常道です。

朝日山12

お堂から長崎街道、東方向を眺める。この道を政府軍が侵攻してきました。ここに兵士が配置されていれば、政府軍が迫ってくる様子を見ていたはずです。

佐賀の図書館へ行ったのですが、佐賀の乱に関する資料が少なすぎ・・・実際の布陣などは分からなかったので、あくまで私の想像です。

朝日山13

更に進むと、公民館があります。

朝日山14

階段を上ってみると、仏様が祀られていました。

朝日山15

敷地内にある古木、佐賀の乱を見てきた木と思われます。何か痕跡が無いか探してみましたが、さすがに生きている木なので表面には何もありませんでした。

朝日山16

公民館に建つ安良地区の歴史を記した看板。江戸時代には長崎街道沿いに栄えた集落で、40ほどの家と茶屋があったそうです。ここから東に少し行くと長崎街道の宿場町「轟木宿」があり、安良には宿は無かったものの参勤交代時に轟木宿が混雑した際にはここへ分宿した記録があるとの事です。

残念ながら、佐賀の乱に関する記載はありませんでした。

朝日山17

安良坂から東方向、鳥栖市内の眺め。正面からは政府軍の朝日山攻撃部隊の主力、大阪鎮台の第四大隊579名、東京鎮台第三砲隊144名が進撃してきました。(兵数は佐賀征討戦記の兵員数表による)

朝日山19

坂を登り切ったところに、朝日山城址への入口がありました。ここからは自動車で山城跡まで登る事ができます。

朝日山20

この辺りはゴルフ場になっています。朝日山城跡、現在は朝日山公園の看板がありました。

朝日山21

山の中を抜け、駐車場のある開けた場所に出ました。朝日山には浄水場があり、ここに配水池があります。

朝日山22

ココからが山城部。公園として整備されていますが連郭式山城の姿を、ほぼ完全にとどめている素晴らしい城址です。

朝日山23

朝日山城址の入口の案内に城の縄張図がありました。

朝日山24

縄張り図の突端部、上の図によるとFの現在地寄り、馬出のような広場とCの曲輪との間にある大堀切。

朝日山25

大堀切にかかる橋を渡って曲輪内へ進んでいきます。

朝日山26

三の曲輪らしき郭にでました。現在は公園として整備されています、馬洗池跡が残っているとの事ですが公園内にある丸い池の事でしょうか。ここから主郭へ馬蹄状の曲輪と共に、段々構造になっています。

朝日山城の築城は1332年、少弐氏一族の朝日氏によって築城。一説によると朝日氏は1530年に大内氏に服属し、田手川の戦いで龍造寺家兼に当主が討たれ、1532年には大内氏の攻撃にて落城、大内氏の代官が置かれました。その後、少弐氏を擁立した筑紫氏が支配しますが、龍造寺隆信に少弐氏が敗れると筑紫氏も龍造寺隆信に降伏。龍造寺傘下となった筑紫氏の本城、勝尾城の支城となっていましたが、1586年に北上してきた薩摩の島津家久の攻撃により落城。勝尾城とともに廃城となりました。

朝日山27

主郭へ到着。宮地嶽神社がありました。

朝日山28

主郭部はかなり広くなっており、展望台もあります。

朝日山29

展望台より鳥栖市内方面。木々の先、すぐの場所にあるグランドが鳥栖西中です。この方角から政府軍が侵攻してきました。

朝日山30

少し南に目を向けると、久留米市内です。

朝日山31

反乱軍による佐賀城攻撃、占領から始まった佐賀の乱。佐賀反乱軍と鎮圧のために進軍してきた政府軍の主力が衝突した戦場「朝日山」。朝日山に展開していた反乱軍側の兵力はいかほどであったのか、記録が残っていないために分かりません。

そもそも、佐賀の乱に参加した佐賀藩側の総兵力も分かっていないようです。政府軍側の朝日山攻略軍の部隊は、大阪鎮台の第四大隊579名、東京鎮台第三砲隊144名、さらに迂回攻撃を行った大阪鎮台第十大隊630名。ただし、第十大隊は一個中隊を博多に残しているため、やや少ない人数でした。

参考に、明治23年時の編成では1個大隊4個中隊編成となっていて、1個歩兵中隊の定員は136名となっています。佐賀征討戦記に記された大阪鎮台第十大隊630名を4で割ると157.5人となるので、明治23年時とほぼ同じと考えて良いかもしれません。なので、朝日山戦に参加した政府軍の兵力は1,200強ではなかったかと推測されます。また、政府軍は高地に陣取る反乱軍に対し部隊を4隊に分けて渡河、迂回・包囲攻撃を仕掛けている事などから、反乱軍は政府軍の同数以下ではなかったかと思われます。

開戦当初は猛烈な攻撃で政府軍の進軍を押しとどめたかに見えた反乱軍ですが、数時間で弾薬が枯渇。山を下り、長崎街道を西へ現みやき町の中原方面へと敗走していきます。

朝日山から西へと続く道、現在はゴルフ場に挟まれた道路になっています。

朝日山32

佐賀の乱は不平士族による反乱として、明治新政府にとって初めての本格的な内戦でした。武士の時代から近代国家へと急速に変化していく中で、流れに乗りきれなかった人たちが数多くいたのでしょう。

現代の私たちはは経済成長、人口の増加の時代から、経済の衰退、人口の減少へ向かう大きな変化の時代を迎えています。時代に適応できなかった人たちの末路がどうなったのか、また、適応した人たちは如何にして時代を味方につけたのか。歴史を胸に刻み、歴史から学ぶことで、これからの時代を生きるヒントが見つかるかもしれませんね。
佐賀の乱首謀者「江藤新平」を主人公とした、あの「司馬遼太郎」の名作!

「朝日山公園(朝日山城址)」

MAP:佐賀県鳥栖市村田町1079−2 Googleマップへ

参考:鳥栖市公式サイト「朝日山公園」ページ





 

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たくや@非正規編集長非正規農家兼ブロガー

投稿者プロフィール

現在は非正規社員で非正規農家、非正規ウェブメディアの自称編集長。
主に営業畑を渡り歩き、広報企画担当時にマーケティングを実地で勉強。
一部上場企業で営業課長、ベンチャー企業では営業本部長という肩書を貰った事もあります。
全国10以上の都市に転勤し、都会と田舎の格差に驚愕。地域活性化に興味を持ち、まちおこし関連の仕事をすることが現在の目標。

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