「化け猫塚」龍造寺vs鍋島!佐賀藩の下剋上と化け猫伝説の地~佐賀白石町秀林寺

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お家騒動にまつわる怨念話、スムーズな政権移譲とはいかなかったようです。

まち情報:観光

「佐賀鍋島の化け猫塚」主人の無念を背負って化け猫となった悲しい物語。

体は人間なのに、行燈に映し出されたのは大きな猫の姿。「すわ化け猫か!、とりゃー!」というのが、江戸時代から演劇や講談などで語られてきた「化け猫」騒動ですね。

佐賀はこの化け猫騒動の中でも特に有名な「鍋島の化け猫騒動」の舞台となった地で、化け猫を祀った猫塚(猫大明神)が白石町の秀林寺に残っています。

秀林寺

事の発端は戦国末期、九州北西部の大半を支配した龍造寺隆信が島津との戦いに敗れて討ち死に、跡め争いの中で鍋島一族が龍造寺一族を排除して佐賀藩主となったお家騒動にあるようです。

化け猫の祀った猫塚(猫大明神)と初代佐賀藩主鍋島勝茂公の供養塔。

猫大明神と勝茂公供養碑

鍋島化け猫騒動のあらまし

龍造寺隆信が島津との戦いで戦死したのち、龍造寺政家が跡を継ぐが病弱であったため隆信の義弟で重臣であった鍋島直茂が実権を掌握します。1590年には天下を手中に収め九州仕置を行った豊臣秀吉の命により、龍造寺政家が隠居させられ家督は子の高房が相続します。龍造寺高房は秀吉より所領安堵の朱印状を受け君主として認められましたが、鍋島直茂にも4万4000石、その嫡男である鍋島勝茂にも7000石の所領安堵を認めたのです。つまり、鍋島一族は国政の実質的な支配を承認され、大名並みの所領を与えられました。

秀吉の死後、徳川幕府も龍造寺家を無視して鍋島家の実質的な支配を認めていました。何の実権も持たず、お飾りの主君とされた高房は自分の立場に絶望して自害します。また、病弱であった隠居中の高房の父、政家も病死して龍造寺家の本家は断絶したかに見えました。しかし、龍造寺本家は断絶したわけでは無く、龍造寺又一郎(又七郎の説あり)が鍋島家の家臣として存命していました。

時が過ぎて二代佐賀藩主鍋島光茂公の時代、龍造寺嫡流の最後の生き残り龍造寺又一郎が光茂公の碁の相手を務めていました。又一郎はそこで光茂の機嫌を損ねてしまい、お手討ちとなってしまいます。その話を聞いた又一郎の母は無念の胸中を飼い猫に語って自害。その母の血を舐めた飼い猫が化け猫となり光茂公を苦しめたが、光茂公の家臣千布本右衛門が化け猫を退治し、鍋島家を救ったというお話です。

猫塚のアップ。見た目は恐ろしい化け猫ですが、実は飼い主の愛情に報いようとした忠猫のけなげな恩返しだったのかもしれませんね。

猫塚アップ

猫塚が建てられた経緯

化け猫騒動は1640年頃の出来事で、化け猫を仕留めた千布家はなぜか男子に恵まれず代々の当主は全て他家から迎えていたそうです。その事に不信を抱いた七代目代目当主久右ヱ門が、千布家に代々縁がないのは先祖の本右ヱ門が化け猫を刺し殺したおり、断末魔の苦悶のなかに「千布家には七代祟って一家を取り潰しこの怨念を必ずはらす」といったとの伝承から、猫の怨念によるものではないかと判断し、七尾の白猫の姿を描いた軸幅をもって猫の霊を丁重に弔らったのが猫塚の由来です。

当初は秀屋形の鬼門に当たる敷地に猫明神とした石の祠があったそうですが、明治四年九月に現在の地に再建したものだと当地の由来には記されています。千布家は化け猫を丁重に弔ったのちは男子にも恵まれ、秀林寺には千布家代々の墓が残され現在も大切に守られています。

鍋島化け猫騒動「猫塚の由来」

猫塚由来

鍋島お家騒動の実態

史実では龍造寺から鍋島への政権交代時、鍋島の専横を快く思わない龍造寺派の家臣が鍋島派の家臣を襲撃するなど領内の治安が乱れました。また、化け猫騒動の中で語られている龍造寺家の嫡流で最後の生き残りとなったのは、鍋島直茂に出家させられていた高房の弟「龍造寺伯庵」と高房の子「龍造寺主膳」でした。この二人は1634年から1642年まで龍造寺家再興の訴えを徳川幕府に対して起こすのですが、その訴えは聞き届けられませんでした。佐賀鍋島藩成立後もお家再興を目指した二人は、白庵が会津藩の保科正之に、主膳は大和郡山藩にそれぞれ預けられる事となり、龍造寺家が大名として再興する道は絶たれました。

龍造寺家から実権を引き継いだ鍋島直茂は、1618年6月3日に81歳で亡くなっています。このとき直茂は大往生とならずに耳に腫瘍ができて激痛に苦しんだ上での半ば悶死だったため、直茂の死は高房の亡霊のしわざではないかと噂されたそうです。

龍造寺家から鍋島家への政権の継承は徳川幕府によって行われましたが、やはり戦国の雰囲気が残る時代の事ですから表では語られないような騒動はあったのではないでしょうか。そういった事柄が、化け猫伝説のような形で現在に残っているのだとおもわれます。

秀林寺への行き方

猫塚が祀られている秀林寺は、白石町の市街地にあります。

白石町役場の北側にある国道207号線「白石町役場入口」交差点を西へ、白石町の商店街方向へ進みます。

白石町役場入口交差点

交差点を西へ進んでいくとすぐ左手に佐賀西信用金庫が見えるので、通り過ぎてすぐの角を左(南方向)へ曲がります。

佐賀西信用金庫

しばらく進むと、茶色で1階が駐車場になっている建物が見えてきます。この建物を越えてスグの小道を右(西方向)へ曲がります。

きらめき館しろいし

曲がって正面のつきあたりが、猫塚が祀られている秀林寺です。右側にみえているのが、前の写真に写っている茶色い建物です。

秀林寺正面

化け猫の話は各地に残っていて、その話の基本として共通しているのは「飼い主に愛されていた猫」「飼い主の恨みを晴らすために復讐」「最後に退治される」というお話です。怪談として恐怖の対象として化け物扱いされる化け猫達ですが、視点を変えてみてみると飼い主への忠義に生きた悲しい猫の物語だったりします。

今回のお話も、日本人の判官贔屓からくる龍造寺家への同情から生まれた、悲しい物語なのかもしれませんね。

「秀林寺の猫塚」

MAP:佐賀県杵島郡白石町福田1644 Googleマップへ

白石町公式サイト「鍋島の化け猫騒動」と秀林寺」ページ

 

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コウテツタクヤ編集長

投稿者プロフィール

非正規社員で非正規農家、非正規ウェブメディアの自称編集長と、もはや存在自体が非正規じゃないかと心配しながら暮らす”負け犬”ダメ中年。
起業に3回失敗しながら、全く懲りない永遠のチャレンジャー。

いつの日か、負け犬からハイエナに進化できる日を夢見ています。

大阪で生まれ、兵庫のベッドタウンで育ち、航空自衛隊に7年間勤務したのち就職。転勤族として全国を転々としながら時どき起業して失敗。その都度転職を繰り返し、気が付いたら福岡の片隅に流れ着いておりました。

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